STEP1_ep1 出生→3歳

ごきげんよう。 いとう るか です。
『まいっか☆いとうるか』
15回目の投稿となりました。
前回は新たな挑戦として『 note 』という
プラットフォームを始めたというお知らせでした。
前回の投稿はこちら ⇓

今は このブログの紹介がメインです

今回からは、12回目の投稿でもお知らせした
なかちゃんの成長記録
「まいっか!」までの5ステップ
について少しずつ書いていこうと思います。
このカテゴリーについては るか がお話しします。
このステップを記録することで
なかちゃん の気持ちの整理と解放が進み、
更には どなたかの僅かな光にでもなれば…
という思いがあります。
ひとつの物語としてご覧いただければ幸いです。

出生

寒い北国が なかちゃんのふるさとです。
春が近づく昭和のある年、ウツツパパとママ、あにうえ、そして当時はウツツバアバも一緒に暮らす家に、雌の肉体と女性性を持って生まれてきました。

ここにはウツツバアバは書かれていません

なかちゃんがまだお腹の中にいる時、ウツツママは小さかったあにうえに手が掛かりとても大変だったようです。胎児に必要な栄養が摂れなかったのか、なかちゃんの肉体が弱かったのかは分かりませんが、生後3か月頃の乳幼児健診で股関節が未熟であることが分かりました。「発育性股関節形成不全」というそうです。すぐに入院となり、ベルトでカエルのように足を固定され、ベッドで動けない状態が続きました。

<症状>
古くは独歩後に跛行することで発見されましたが、現在は乳児検診で開排制限(股の開きが悪いこと)や脱臼感があった場合、X線(レントゲン)か超音波(エコー)診断が行われることで早期発見が可能になっています。

<原因と病態>
病態としては、周産期に緩みのある赤ちゃんの股関節が、下肢を伸ばした位置でオムツをするなどの間違った育児習慣によって外れていくことが多いと言われています。脱臼は生まれた後に発症するのだという議論から、最近は先天性というより発育性股関節形成不全と呼ばれるようになりました。かつては出生数の2%前後の発生率があり、近年はその約1/10 に減少していますが、成人の二次性変形性股関節症を含めると現在でも代表的な股関節疾患といえます。

<予防と治療>
治療は年齢により異なりますが、大別すると脱臼の整復とその後に残った変形の矯正に別けられます。乳児期に発見された場合、わが国では多くリーメンビューゲルと呼ばれるひも型の装具療法が行われています。もしこの装具で整復が得られない場合や患児が大きくなりすぎてこの装具療法がうまく行かない場合には、多くオーバーヘッド・トラクションといわれる入院牽引療法が行われます。
脱臼整復はリーメンビューゲルで80%前後、残りの20%のうちそのまた80%が入院牽引療法で整復されます。残りの5%前後が手術を要することになります。

整復が得られたら、その後の成長の経過観察を行い、もし後遺症が早めに出た場合骨盤骨切り等のいわゆる補正手術を行います。できれば就学前に一応の治療を終わらせておきたいと考えております。

なお最近育児に取り入れられたスリングによる保育法が、この疾患の発生を助長するのではないかとの危惧が持たれています。

(引用:公益社団法人 日本整形外科学会HP)


ウツツママは、あまりこのことを話したがりませんでした。恐らく自責の念や、その頃の大変だった生活を思い出すことを望んでいなかったのでしょう。
また、この頃のなかちゃんの写真は一切ありません。「あんな姿の写真なんて、可哀想で撮れなかった。女の子なのに…」というウツツママの言葉を聞いたのも、随分大きくなってからです。だからなかちゃんは大人になってからも、これ以上のことを聞くのはやめました。
このことが原因なのか遺伝の問題なのかは分かりませんが、なかちゃんは走るのが苦手でした。スピードを上げると股関節がガクッとなり、そのガクッとなるのが怖くて恐る恐る走るということもありました。でもこのことをウツツパパとウツツママにはっきり言うことはしませんでした。遺伝なんだと思っていた方が、自分も親も傷付かないと思っていたようです。
このような身体に生まれたことは、誰のせいでもありません。きっと意味があってのことです。人の力ではどうにもならないこともあるのですから、必要以上に自分を責めることはかえって相手を苦しめることもあります。お互いが「自分のせいで…」と思うくらいなら「今いてくれてありがとう」という言葉で上書きしていく方が、前を向いて楽に生きられるのではないでしょうか。

最初の記憶

この世に生まれてから『最初の記憶』というものを覚えている人もいるのではないでしょうか。生まれる前の記憶は、話せるようになるまでに消えるとも言われますが、ご多聞に漏れずなかちゃんにもありません。(のちにセラピーによって呼び起こされたものもありますがここでは割愛します)
なかちゃんにとっての『最初の記憶』は、プロフィールにも書きましたように『 身体を抜けて宙に浮かび、空を飛びながら町を見下ろしていた』というものです。天井に浮かんだ映像も、そこから空に抜けた感覚も、上空から見た町並みも、今でもありありと思い出せるのです。不思議なことに、飛んでいるときの“風”という感覚は“体感”として残っていないということです。最初の記憶については、以前投稿した下記の記事内でも少し触れました。(記憶という項目です)


これは、生家である平屋での出来事なので、恐らく1歳~2歳の頃ではないかと思われます。これを『夢』と思うのか『真実』だと思うのか、それはその人がその出来事をどう捉えるかということに他なりません。本人、ましてやそれを体験していない他者が、これをいずれであるか証明することは出来ないからです。
なかちゃんにとっての『最初の記憶』その不思議な体験は、そののちにも訪れる不思議な感覚とどこか共通するものがあることに、いづれ気付くことになります。「自分であって自分ではない」今生きている自分は、今でしかないのであれば「まいっか!」に繋がる第一歩だったのかもしれません。

生家での暮らし

コケコッコ花

股関節の治療が終わってからのなかちゃんは、食は細かったものの大きな病気をすることもなく、すくすく育ったそうです。生家である平屋の借家には、3歳まで住んでいました。近所のお友達とたくさん遊び、写真も多く残っています。
『コケコッコ花』という花をご存じでしょうか?一部地域の呼び名なので、わかる方は幼少期をこの地で過ごされたのかもしれませんね。本来の呼び名は『タチアオイ(立葵)』というもので、関東などでは『ツユアオイ(梅雨葵)』とも呼ぶようです。このような花です。

ニワトリのトサカのような花びらです

色は赤やピンク、白いものやグラデーションになっているものもあります。花弁(花びら)は薄く、その根本を少し割いて開くと内側には粘着性があり、これをおでこや鼻、あごなどにくっつけると鶏冠(トサカ)のようになります。こうして「コケコッコー!」と鳴き、“ニワトリの真似”をする遊びをしたことからこの呼び名になったようです。
この『コケコッコ花』を顔中にくっつけたなかちゃんの写真があります。今でもこの花を見かけると、あにうえや幼なじみと夢中になって花を摘み、小さな手でその花弁を開いてはべたべたした感覚を楽しんだことや、くっつけたときに肌がぞわぞわする感じを思い出すと言います。
こどもの頃に触れた感触やにおい、空気感などは、大人になってからも記憶に残る体験なのでしょう。

インコの脱走

昭和の時代はどの家庭でも一度は飼ったことがあると言われた『インコ』。玄関先に鳥かごがあったそうです。そして、どの家庭もきっと経験したであろう『インコの脱走』を、なかちゃんも体験しました。
小さかったので実際に見たわけではないと思いますが、大人の話す内容やその場の空気で「開いていた玄関から外にインコが飛んでっちゃったんだ」ということ、そして「もう会えないんだ」ということはわかったのだろうと思います。これが人生最初の喪失感となりました。
当り前だった日常は、突然失われることがあります。どんな小さな別れでも鮮明に記憶に残ることがあるなら、ましてや大切な家族とある日突然会えなくなる…などの大きな出来事は、きっともっと深く記憶の底に刻まれることになるのでしょう。

あにうえの入院

ウツツママは「あにうえは、なかちゃんがお腹にいるとわかった頃から特に手がつけられなくなった」と、何度となくなかちゃんに話していたそうです。胎児は、お母さんのお腹の中にいる時から外の状況が分かります。ウツツママが語らずとも、なかちゃんにはわかっていました。「自分は大人しくしていなくちゃ」「わがまま言わないようにしなくちゃ」と。
なかちゃんがまだ2歳にもなっていない頃でしょうか、ある時あにうえが怪我をして入院することになったそうです。結構な大けがで、ウツツママが付き添いで病院に泊まることもあったのでしょう。ウツツバアバがいたとはいえ、母親と離れるにはまだ早い年頃です。恐らく泣いたりもしたでしょう。それでもその時のなかちゃんの記憶は、床にちょこんと座り、独りおもちゃでコロコロ遊ぶ姿として残っていると。それも、後ろ姿として。
人は大きなショックを受けたとき、どこか他人事のような、感情が空白になるようなことがあります。目線も自分のものではなく少し離れたところから眺めるような感覚です。後ろ姿を眺めていたのは、身体を抜け出したなかちゃん本人かもしれませんが、もしかしたら、インナーチャイルドであるわたくし るか が 生まれた瞬間だったのかもしれません。
あにうえの入院は、寂しさと我慢の狭間で混乱したなかちゃんが、自失という手段で自分自身を守るきっかけとなりました。そしてご両親も、皮肉なことに「なかちゃんは手が掛からないから放っておいて大丈夫」という認識を持つようになりました。これが、なかちゃんの潜在意識の中に長く深く根を張り、のちのちまで自分を無いものとし、ピエロになることで存在意義を求める人格として形成されていったのです。

まとめと次回について

今回は、なかちゃんが生まれてから
3歳までのエピソードをお伝えしました。
次回は生家を離れ新しい土地での暮らしが始まる
3歳からのエピソードをお伝えしたいと思います。

なかちゃん
なかちゃん

最後だけ登場~
まったね~!まったきってね~!