STEP1_ep2 3歳→6歳

ごきげんよう。 いとう るか です。
『まいっか☆いとうるか』
16回目の投稿となりました。
前回は なかちゃんの成長記録
「まいっか!」までの5ステップ
出生から3歳までのエピソードでした。
前回の投稿はこちら ⇓

るかも誕生?

今回は、生家を離れ新たな地に引っ越した3歳から
小学校入学前の6歳までのエピソードです。

お引っ越し

なかちゃんが3歳の頃、ウツツパパは一大決心をしてマイホームを建てました。主要都市の借家住まいから ベッドタウンと呼ばれる町に引っ越すことになり、仲良しだった幼なじみともお別れすることになりました。
生家から電車で1時間くらいの距離だったこと、またその後も幼なじみとの交流はあったことから『引っ越す』ということ自体は、この時のなかちゃんには大きな出来事ではなかったのです。でものちに『距離』というものが、人との交流を大きく変えるのだということに気付くことになります。

新たな土地・新たな交流

2つ目の家

引っ越した家は2階建ての一軒家でした。開発途中のベッドタウンは、まだ自然が多く残るのどかな町でした。なかちゃんの家の周りにはまだ他の家も建っていなかったため、空き地は草原のようでとても開放的でした。
ヒバリが空高くピチクリピチクリと鳴いては、草むらに作った巣に急降下する様子も、シロツメクサやアカツメクサが群生している光景も、どれも今まで目にした事のないものばかり。幼かったなかちゃんの目に鮮やかに映りました。

幼稚園

4歳になったなかちゃんは、年子のあにうえと一緒に幼稚園に入園しました。当時の幼稚園は1年保育と2年保育が主流。幼稚園バスもなければ親の送り迎えもありませんでした。今では考えられませんが、そんな時代でした。
入園する頃には近所にもお友達が増え、一緒に幼稚園にも通いました。幼稚園まではこどもの足で徒歩20分くらいかかり、国道を2つも超えて行くのですから、かなりの大冒険だったのではないでしょうか。足取りもおぼつかないなかちゃんは、あにうえと手をつなぎ通っていました。
幼稚園は、キリスト教系の幼稚園でした。そのためクリスマスには礼拝があり、それぞれ役柄を決めてキリスト誕生の劇をするという行事もありました。この頃のなかちゃんは今とは違い(?)とても大人しかったので、専らその他大勢の『天使』の役でした。
「かわいい子がマリア様の役をやるんだな」という気づきから社会のヒエラルキーを知り、集団内での自分の立ち位置という認識もこの時学びました。それでも、オルガンの奏でる賛美歌の音色が響く教会を、ロウソクを持って歩いた光景を思い出すと、今でもとても厳かで癒される感覚が沸き起こるそうです。

オルガン教室

なかちゃんは、幼稚園のオルガン教室に通っていました。それほど強い意思があったわけではありません。お友達がやっているからくらいの「何となく」というぼんやりした理由です。それでは上達しませんね。
コツを掴むのは上手かったようでそれなりにできていたようですが、更に上達するには「やる気」が必要です。ただその「やる気」以前に「何のために」という目的意識がまだ見いだせていなかったのでしょう。
また、楽しいことが一番の飽きっぽい性格はこの頃からあったものなのかもしれません。三つ子の魂百までとはよく言ったもので、気が向かないと「行きたくない」と言ってはウツツママに叱られていました。そんななかちゃんですから、ピアノに移行する意欲もなく卒園と同時に修了したのは言うまでもありません…

Kちゃんとの出会い

幼稚園の同じクラスに、障害者のAちゃんという女の子がいました。なかちゃんにとって人生で初めての経験です。Aちゃんはいつもニコニコ楽しそうにしていましたが、常に先生に手を引かれていました。
なかちゃんは走るのはあまり得意ではなかったものの、体育館で跳び箱を飛ぶのはとても好きでした。ちなみに跳び箱を横にして跳ぶのがなかちゃん流。一番高い段も、縦では無理なのに横にするとなぜか跳べるのです。股関節の病気が唯一良い方に影響していたのかもしれません。
なかちゃんが跳び箱をしているとき、Aちゃんもやりたいと言って走り出しました。踏切台のところで止まって箱に手をつきます。結局飛べませんでしたが、満面の笑みです。なかちゃんは「飛べなくてもなんだか楽しそう!」と、その後もAちゃんのことが気になるようになりました。
なかちゃんは天井に取り付けられたステンレス製のバーにつかまり、そこから下のマットに飛び降りるという遊びが大好きでしたが、Aちゃんはやらせてもらえません。やりたいと駄々をこね泣いているのを見て「なんでダメなのかな」と、まだ障害についての知識がないなかちゃんは、とても不思議に思っていました。
そんなAちゃんが、とても楽しそうに遊んでいたのがトランポリンです。先生と手をつなぎ、キャッキャと笑いながら跳んでいるのを見るのが楽しくて、なかちゃんはAちゃんとトランポリンをするのがとても楽しかったそうです。
Aちゃんがどのような障害があったのかはわかりませんが、今でも忘れられないこの体験が「どんな子もみんな一緒」「笑っていればみんな楽しい」という感覚を培ったのではないかと、なかちゃんは言います。
そして、出会ってくれたAちゃんにとても感謝しています。今もどこかで、笑顔でいてくれるといいですね。

近所の銭湯

昭和レトロな銭湯が今また流行しているようですね。なかちゃんのおうちにもお風呂はありましたが、時々家族で近所の銭湯に行っていました。
銭湯の入り口で男湯と女湯に分かれ、番台で料金を払ってから脱衣スペースの空いているかごに自分の着替えを入れます。この時、かごを逆さにしてトントンと中の埃を払うのが不思議だったというなかちゃん。知らないことや そうする意味が分からないことがたくさんありました。
銭湯のお風呂は、蛇口が独特でした。お湯の出る赤いまんまるいノブをほんのちょっと押すだけで「ジャー!」と勢いよく出てくるのが怖くて、なかちゃんはいつもおっかなびっくり押していました。シャンプーハットも、被ったところで結局目に入ってしまい痛いと泣いたり、スポンジでゴシゴシ洗われるのもちょっと嫌だったり…おまけに銭湯のお湯はおうちのお風呂より熱いのですから、早く上がりたいなと思うことが多かった銭湯でのお風呂タイム。
そんな銭湯での唯一の楽しみは、時々買ってくれる瓶入りの牛乳やコーヒー牛乳。冷蔵庫のわきにぶら下がったピックで、蓋を開ける瞬間のワクワク感は忘れられない思い出のひとつだそうです。昭和生まれの皆さんにも、同じような思い出があるのではないでしょうか。
わざわざ銭湯に行っていたのは、せっかく近所にあるからということなのか、そのような習慣だったのかは分かりません。でも、洗面器を片手に家族で下駄を鳴らして歩く夕暮れの道、ゆったり入れるお風呂は、日ごろ色々あったであろう大人たちにとって、ひとときの潤いになっていたのかもしれませんね。

自家製スケートリンク

ウツツパパは、創意工夫や楽しい企画をするのが得意でした。ある時、家の隣の空き地に『スケートリンク』を作ると言い出したのです。なかちゃんを子供用の小さなソリに乗せ、楕円のトラック形にぐるぐると何度も回っては雪を踏み固めます。水をまいたり塩をまいたりしたあと、一晩おきます。それを何度か繰り返してスケートリンクを作ってくれたのです。
リンクの仕上がりは、多分とてもボコボコでした。でも、ソリに乗ってウツツパパに引っぱってもらった記憶がしっかり残っているということは、なかちゃんはとても楽しかったのでしょう。
マイホームを建てて生活は苦しかったかもしれないけれど、ウツツパパは「少しでも子供に楽しい思い出を」と思ってくれていたのかもしれません。
物より想い出。ウツツパパ、ちゃんとなかちゃんの中に残っていますよ。

まとめと次回について

今回は、3歳で引っ越してから6歳までのエピソードをお伝えしました。
小さいころはあまり自己主張をせず大人しかったなかちゃんですが、色々な人と関わる中で考え、感じ、学び始めたのもこの頃からです。今のなかちゃんの思考に、大きく影響した出来事もありました。でも、根本的に変わらないものもまたあるのだということもわかります。
卒園後は、あにうえの通う小学校に入学です。また新たな環境に行けば、これまで以上にたくさんの人と関わることになります。ぼんやり生きていたなかちゃんも、そうもいかなくなってくる出来事が待っているのでした。

次回は小学校入学から、大きな転機となった
『転校』までをお伝えしていこうと思います。

なかちゃん
なかちゃん

最後だけ登場~
まったね~!まったきってね~!