STEP2_ep2 子育て(0~3歳)

ごきげんよう。 いとう るか です。
『まいっか☆いとうるか』
23回目の投稿となりました。
前回は なーさんと結婚してから
ししょー誕生までのエピソードでした。
前回の投稿はこちら ⇓

なかちゃんを支える二人のサポーター

今回は、宇宙人なかちゃんが初めて挑んだ
ししょーの子育て(人間育て)エピソード
0~3歳までです。

0歳で悟りの境地?

予定日よりふた月も早く、ししょーはこの世に生まれてきました。
なかちゃんのお腹は、ししょーが大きく育つにはやや環境が悪かったのかもしれない、というお話は以前にもしました。妊婦さんでも自転車に乗ったり、上のお子さんと走ったりしても平気な人もいましたから、こればかりは個体差があるのでしょう。何をしてもすぐお腹が張る(子宮が収縮する)なかちゃんが、同じようにできなかったのは仕方のないことです。
それでもししょーは頑張って生まれてきてくれました。何度も流れそうになりながらも、子猿のように痩せてシワシワでも「もうだいじょうぶだよなかちゃん」とでも言うように、早めに出てきてくれました。それは、なかちゃんの負担を最小限にしつつ、自分自身がこの世に生まれても何とかなりそうなギリギリの大きさになってからという、絶妙なタイミングでした。
なーさんを伴い颯爽と(?)救急車に乗り、小さな保育器に納まったししょーは、やっと手足をうーんと伸ばして、穏やかに眠れたのかもしれません。
その後の成長を見るにつれ、なかちゃんにはそう思えてならないのでした。

産後 ~心の傷~

ししょーが救急車で運ばれてしまい、ただお腹が小さくなっただけのなかちゃんは、7日後には退院。自宅に戻りました。
産後なのに赤ちゃんのいない部屋は、まるで妊娠も出産も夢だったんじゃないかと思うほど、シーンとしていました。
予定より早い突然の出産に、大慌てでウツツママが手伝いに来てくれました。とは言え、ししょーはいません。かなり拍子抜けしたようですが、電車とバスを乗り継いで、ししょーの入院先にも何度か通ってくれました。
数日経ったある日のことです。ウツツママのボヤキが始まりました。「何だか、あんたの世話しにきてるだけね」「家政婦みたいだわ」慣れない環境で疲れも溜まっていたのでしょう。早く帰りたくなったウツツママは「雅子様の結婚パレードは、家で観たいな」と言い出しました。
なかちゃんは驚きました。そのような発想と発言は想像していなかったのです。でも、ししょーもいない環境ではこれ以上お願いはできないと思い「いいよ。もう大丈夫だから」と言いました。
その日なかちゃんは、お風呂場で声を殺して泣きました。なかちゃんは本当は大丈夫ではなかったんです。普段は平気なことでも産後は心が不安定になり、大きく感情が揺れ動きます。実家にいた頃の不自由さを思い出し、なかちゃんはこの時もまた、自分の感情に蓋をしてしまいました。
そしてウツツママは、雅子様の結婚パレードに合わせて、ししょーが退院する前に自宅に帰っていきました。

時を超えた出会い

ししょーは、保育器の中ですくすくと育ち、順調な生育で予定通りに退院することができました。
退院に合わせて、今度はぎぼちゃん(なーさんのウツツママ)が来てくれることになりました。ぎぼちゃんはししょーを見るなり、驚いたように目を見開きました。それは、ぎぼちゃんが最初に産んで7日後に亡くなった、長男さんにそっくりだったからだというのです。なかちゃんも、昔そのようなことがあったとは聞いていましたが、産んだ本人であるぎぼちゃんが言うのだから間違いないだろうと感じました。ししょーが何を使命に生まれてきたのかは分かりませんが、ぎぼちゃんにとってししょーとの出会いはとても懐かしく、そしてもう一度、子育てをやり直せる喜びさえも感じていたのかもしれません。
ししょーを慈しむ表情には、どこか我が子を思い出しているような温かさが溢れていました。親から子へ、そして孫へと繋がる縁は『愛』であることを教えてくれた ぎぼちゃんのエピソードです。

そんなに?

退院後のししょーは、驚くほどのスピードで巨大化しました。座布団に納まっていた身体は胴体しか乗らなくなり、か細かった泣き声は、赤ちゃんらしくない低音ボイスになりました。なかちゃんは母乳があまり出なかったためミルクに頼っていたこともありますが、それにしても足りないと欲しがるため、代わりに白湯を飲ませたところ「なんじゃこりゃ!これじゃない!」と泣き叫ぶありさま。あの小さかったししょーと同じ生き物とは思えないほどの勢いでした。
おまけに一度寝たら3時間以上起きない長時間睡眠に、なかちゃんは「死んでないよね?」と何度も呼吸を確認しました。寝る子は育つと言いますが、未熟児だったとはとても思えない大きさに変化するししょーを見ては、何度となく「そんなに?」という言葉が口から漏れ出るなかちゃんなのでした。

他人のあたたかさ

相変わらず社宅住まいの居心地の悪さはありながらも、なかちゃんがそのありがたみを感じたのは ししょーが生まれてからです。子育て経験をしている先輩がたくさん周りにいるというのは、とても心強いものです。また、色々な月齢・年齢の子どもと交流できることは、ししょーにとっても良い刺激となります。程よい距離さえ保てば、これほどありがたい環境はありませんでした。
仕事が忙しいなーさんは なかなか子育てに参加してもらえません。以前の投稿でも書きましたが、ししょーが夜泣きをしてもなーさんは起きてあやすどころか全く目を覚ましません。土日も出勤する日もあれば夜勤の日もあり、必然的になかちゃん独りでししょーの世話をする状況にありました。
また、自分の生活リズムが乱されることを嫌うウツツママには、サポートも頼めませんでした。産後の “帰りたい事件” は、なかちゃんの胸に小さな棘となって残り、「ひとりでやるしかない」と思っていたのです。
そんななかちゃんを助けてくれたのは、社宅のお友達でした。ししょーが熱を出したときには、なかちゃんの分まで買い物をしてきてくれたり、夕飯のおかずを分けてくれたりと、できる範囲での協力をしてくれるご近所さんがたくさんいました。なかちゃん自身が熱を出したときには、ししょーを預かってくれた上にお世話もしてくれました。どれほど救われたか分かりません。ししょーは、たくさんの人のサポートのおかげで生きられたのです。
なかちゃんは孤独な育児、今でいう “ワンオペ” の環境にありながらも、初めての育児を何とか続けることができました。
『遠くの親戚より近くの他人』その後もずっと、なかちゃんとししょーを支えるリソースとして『他人様』は、いつも周りに存在し続けてくれました。

幼稚園か保育園か

『社宅』とは、会社が資産として所有している建物を、若い社員に安く貸し出すことで住居費にかかる家賃の割合を抑えられるようにした福利厚生の仕組みです。そこに住んでいる間 社員はある程度の貯蓄をし、一定の期間を過ぎると退室しなければなりません。社宅には何十年も住み続けることはできないのです。なかちゃんが住んでいる間にも、両親と同居したりマイホームを買ったりして出ていく人がたくさんいました。
決断する理由の多くは『子供の教育』を主体に考えるものでした。子供の幼稚園をどこにするか、その後続く小学校はどこに通わせるかということです。小学校の途中で移動となると、条件が合わなければ学校を転校することになり、子供に負担がかかってしまいます。実際社宅を出ていく人の多くは、最初の子どもの年齢が3歳になる年に、退室の決断をしていました。
ご多聞に漏れず、ししょーが3歳になる頃一気にそれは現実味を増しました。そして賃貸ではなく、家を買う方向でなーさんと話し合いをしました。
そんな中、なかちゃんはどうしても譲れない条件がありました。それは、ししょーを『転校させない』ということです。5年生で転校したあのつらい経験を、できればししょーにはさせたくなかったのです。
なーさんと相談して一度は家を決めましたが納得がいかず、仕切り直すことにしました。貯蓄を増やし、納得のいく家に住めるようになってから退室しようと決断したのです。ししょーを転校させないためにも、今住んでいる学区内で引っ越す。かなりの挑戦でした。
次の決断はすぐにやってきました。『幼稚園か保育園か』問題です。貯蓄を増やすためには、なかちゃんが働くのが一番の近道です。仕事から離れて3年以上経っていましたが、とにかく何でもいいから仕事をしようとなかちゃんは決意しました。
仕事をすると決めたからには、幼稚園という選択肢はなくなりました。でも保育園に入園するには様々な条件があります。特に認可の保育施設に入りたい場合は、保育の必要性の認定(支給認定)を受けなければなりません。当時仕事をしていなかったなかちゃんは、条件としてはとても不利でした。とにかく仕事先を決めて勤務予定証明書をもらわなければ入園選考はおろか、申し込みをすることさえできません。2年間しか社会人経験のないスキルも何もないなかちゃんでしたが、若さという武器だけでパートタイムの仕事を見つけることができました。そして入園選考の結果、何とか翌春から、ししょーの保育園入園が決まったのです。
これまで社宅という小さな社会しか知らなかったししょーも、いよいよ多くの人と関わる社会生活が始まります。また、なかちゃんも同じく、働きながら家事と育児をするという初めての経験が目の前に迫っていました。
さて、保育園生活の3年間にはどんなことが待っているのか…不安と期待の入り混じった新たなスタートです。

まとめとお知らせ

今回は、ししょーが0歳から3歳までのあいだに起きたエピソードと、育ってきた環境、支えてくれた周りの人たちについても書いてみました。
『小さく産んで大きく育てる』とは昔から言われている言葉ですが、小さいが故の危うさや、大きいからこその悩みなど、子育てにはあらゆる不安や迷いがつきものです。こども(人間)を育てるという『一大事業』は、とても母親独りでは成し得ません。どんなに頑張っても無理なことがあります。困ったときはお互い様。独りで抱えず、周りに助けを求めることは決して恥ずかしいことではありません。何よりも、お母さんが心身共に健康でいることが、子供にとっての安定に繋がります。
今でこそ立派な大人になったししょーですが、ひとりでは何もできなかった時があります。同じように、なかちゃんにも、ウツツママにもありました。生きてきた歴史の中には、身内以外にも多くの他人様がいたはずです。その時必要な人が、必ず周りにいたから、生きてこられたのでしょう。全てに感謝する気持ちを持ち続けたいものです。

さて、ここでお知らせです。なかちゃんはいよいよウツツでの次のステップが見えてきたようです。5つ目のステップで平坦な時期を過ごしている現在の状況から、なかちゃんはステップアップを試みることに決めました。
このブログも、3日に一度の投稿を目標にしてきましたが、今後は分かりません。5ステップシリーズのSTEP2という、途中での足踏みとなったことは少し残念ではありますが、ウツツに生きるなかちゃんの決断を尊重し、るかはこれからも傍で見守っていきたいと思います。
次回は、ご挨拶がてら久しぶりに対話形式で投稿したいと思います。
ここまでご覧いただきありがとうございました。

なかちゃん
なかちゃん

最後だけ登場~
まったね~!まったきってね~!