まいっか☆いとうるかhttps://ruka-ito.com折り返し地点からの人生再生記録!Sat, 19 Aug 2023 14:36:01 +0000jahourly1https://ruka-ito.com/wp-content/uploads/2023/05/cropped-アイコン_GREEN-32x32.pngまいっか☆いとうるかhttps://ruka-ito.com3232 猛犬発動?~小休止のお知らせ~https://ruka-ito.com/short-break/Sat, 19 Aug 2023 14:03:51 +0000https://ruka-ito.com/?p=1556

今回は『ブログ小休止』のお知らせです。]]>

ごきげんよう。 いとう るか です。
『まいっか☆いとうるか』
24回目の投稿となりました。
前回は ししょー誕生後の
0~3歳までのエピソードでした。
前回の投稿はこちら ⇓

子猿が巨大化!?

今回は『ブログ小休止』のお知らせです。

なかちゃん
なかちゃん

ごぶさたっす~なかちゃんす~

るかちゃん
るかちゃん

久しぶりに
このスタイルでお届けします

なかちゃん
なかちゃん

そしてしばらくこのブログはお休みします!

るかちゃん
るかちゃん

…少し唐突ね…
見て頂いた方にご報告したかったのよね

なかちゃん
なかちゃん

はい、そうなんす!
なかちゃん『猛犬発動』です!

るかちゃん
るかちゃん

…もう少し分かりやすい表現で…

なかちゃん
なかちゃん

あそか。いけね~いけね~

るかちゃん
るかちゃん

現(ウツツ)で
頑張ることがあるのよね?

なかちゃん
なかちゃん

そーなの!次のステップね!
5年ぶりくらいに意欲に燃えてんの

るかちゃん
るかちゃん

『猛犬』とはどういう意味?

なかちゃん
なかちゃん

おりゃ~!って感じ
やったるで~!みたいな

るかちゃん
るかちゃん

『意欲と気合に溢れている』という感じの意味なのね

なかちゃん
なかちゃん

そゆこと!
これまで色々なことがあって、今の5ステップで『まいっか』と思えるようになったんだよね。平和で穏やかな時間は十分味わえたし、自分への信頼も取り戻せた。全てに対して『愛と感謝』を感じられるようになったからこそ、このブログも楽しく運営できたんだ。
でも、次のステップが見えた!それはまた結構な高さのある階段なの!片手間では登れない気がしてる。そしたら、なかちゃんの中に眠ってた『猛犬』が目を覚まして「ぜって~やってやる!」と血が騒ぎだしたってわけ。

るかちゃん
るかちゃん

このブログ以外にも様々なことに挑戦してきたものね

なかちゃん
なかちゃん

うん!全部今に繋がる必要な体験だったよ!

るかちゃん
るかちゃん

これまでのようなペースで、このブログを投稿するのは難しいの?

なかちゃん
なかちゃん

ん~…ちょっと集中しないとだから…
なかちゃんの努力次第だけど…

るかちゃん
るかちゃん

昔のように心と身体を壊さない?
夢中になると寝るのも忘れるから…

なかちゃん
なかちゃん

はい、気を付けます!

るかちゃん
るかちゃん

なかちゃんの6つ目のステップが始まるのね

なかちゃん
なかちゃん

そなの~!5ステップシリーズの途中で次のステップが現れたから、どーしようか迷ったけどね

るかちゃん
るかちゃん

また落ち着いたら再開しましょう

なかちゃん
なかちゃん

案外すぐだったりして~
このブログ自由で楽しいから♬
PV数目的じゃないしね!

るかちゃん
るかちゃん

なかちゃんの癒しと解放

なかちゃん
なかちゃん

最近は遺言的なスタンスになったな笑
なかちゃんがいなくなったあと、ししょーがこのブログ見つけたら驚くだろうな~!

るかちゃん
るかちゃん

それはもう少し先だから。
今 やれることを頑張りましょう

なかちゃん
なかちゃん

頑張ります!
ししょーの成長は3歳で一旦止まったけど、いずれまた再開します!

るかちゃん
るかちゃん

ここからが
ししょーの『本領発揮』

なかちゃん
なかちゃん

そう!だから楽しみはとっておこう♬
これまでこのブログを読んでくれた知り合いの方、遠く離れたところで見つけて覗いてくれた方、本当にありがとう!また再開するときは、インスタ投稿でお知らせします♬気が向いたら見てね~

るかちゃん
るかちゃん

なかちゃんが暴走しないよう
るかが見守っています

なかちゃん
なかちゃん

ほんじゃみなさん
まったね~!まったきってね~!

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STEP2_ep2 子育て(0~3歳)https://ruka-ito.com/step2_ep2-childcare-0-3/Thu, 17 Aug 2023 13:48:38 +0000https://ruka-ito.com/?p=1514

今回は、宇宙人なかちゃんが初めて挑んだ ししょーの子育て(人間育て)エピソード0歳から3歳までです。]]>

ごきげんよう。 いとう るか です。
『まいっか☆いとうるか』
23回目の投稿となりました。
前回は なーさんと結婚してから
ししょー誕生までのエピソードでした。
前回の投稿はこちら ⇓

なかちゃんを支える二人のサポーター

今回は、宇宙人なかちゃんが初めて挑んだ
ししょーの子育て(人間育て)エピソード
0~3歳までです。

0歳で悟りの境地?

予定日よりふた月も早く、ししょーはこの世に生まれてきました。
なかちゃんのお腹は、ししょーが大きく育つにはやや環境が悪かったのかもしれない、というお話は以前にもしました。妊婦さんでも自転車に乗ったり、上のお子さんと走ったりしても平気な人もいましたから、こればかりは個体差があるのでしょう。何をしてもすぐお腹が張る(子宮が収縮する)なかちゃんが、同じようにできなかったのは仕方のないことです。
それでもししょーは頑張って生まれてきてくれました。何度も流れそうになりながらも、子猿のように痩せてシワシワでも「もうだいじょうぶだよなかちゃん」とでも言うように、早めに出てきてくれました。それは、なかちゃんの負担を最小限にしつつ、自分自身がこの世に生まれても何とかなりそうなギリギリの大きさになってからという、絶妙なタイミングでした。
なーさんを伴い颯爽と(?)救急車に乗り、小さな保育器に納まったししょーは、やっと手足をうーんと伸ばして、穏やかに眠れたのかもしれません。
その後の成長を見るにつれ、なかちゃんにはそう思えてならないのでした。

産後 ~心の傷~

ししょーが救急車で運ばれてしまい、ただお腹が小さくなっただけのなかちゃんは、7日後には退院。自宅に戻りました。
産後なのに赤ちゃんのいない部屋は、まるで妊娠も出産も夢だったんじゃないかと思うほど、シーンとしていました。
予定より早い突然の出産に、大慌てでウツツママが手伝いに来てくれました。とは言え、ししょーはいません。かなり拍子抜けしたようですが、電車とバスを乗り継いで、ししょーの入院先にも何度か通ってくれました。
数日経ったある日のことです。ウツツママのボヤキが始まりました。「何だか、あんたの世話しにきてるだけね」「家政婦みたいだわ」慣れない環境で疲れも溜まっていたのでしょう。早く帰りたくなったウツツママは「雅子様の結婚パレードは、家で観たいな」と言い出しました。
なかちゃんは驚きました。そのような発想と発言は想像していなかったのです。でも、ししょーもいない環境ではこれ以上お願いはできないと思い「いいよ。もう大丈夫だから」と言いました。
その日なかちゃんは、お風呂場で声を殺して泣きました。なかちゃんは本当は大丈夫ではなかったんです。普段は平気なことでも産後は心が不安定になり、大きく感情が揺れ動きます。実家にいた頃の不自由さを思い出し、なかちゃんはこの時もまた、自分の感情に蓋をしてしまいました。
そしてウツツママは、雅子様の結婚パレードに合わせて、ししょーが退院する前に自宅に帰っていきました。

時を超えた出会い

ししょーは、保育器の中ですくすくと育ち、順調な生育で予定通りに退院することができました。
退院に合わせて、今度はぎぼちゃん(なーさんのウツツママ)が来てくれることになりました。ぎぼちゃんはししょーを見るなり、驚いたように目を見開きました。それは、ぎぼちゃんが最初に産んで7日後に亡くなった、長男さんにそっくりだったからだというのです。なかちゃんも、昔そのようなことがあったとは聞いていましたが、産んだ本人であるぎぼちゃんが言うのだから間違いないだろうと感じました。ししょーが何を使命に生まれてきたのかは分かりませんが、ぎぼちゃんにとってししょーとの出会いはとても懐かしく、そしてもう一度、子育てをやり直せる喜びさえも感じていたのかもしれません。
ししょーを慈しむ表情には、どこか我が子を思い出しているような温かさが溢れていました。親から子へ、そして孫へと繋がる縁は『愛』であることを教えてくれた ぎぼちゃんのエピソードです。

そんなに?

退院後のししょーは、驚くほどのスピードで巨大化しました。座布団に納まっていた身体は胴体しか乗らなくなり、か細かった泣き声は、赤ちゃんらしくない低音ボイスになりました。なかちゃんは母乳があまり出なかったためミルクに頼っていたこともありますが、それにしても足りないと欲しがるため、代わりに白湯を飲ませたところ「なんじゃこりゃ!これじゃない!」と泣き叫ぶありさま。あの小さかったししょーと同じ生き物とは思えないほどの勢いでした。
おまけに一度寝たら3時間以上起きない長時間睡眠に、なかちゃんは「死んでないよね?」と何度も呼吸を確認しました。寝る子は育つと言いますが、未熟児だったとはとても思えない大きさに変化するししょーを見ては、何度となく「そんなに?」という言葉が口から漏れ出るなかちゃんなのでした。

他人のあたたかさ

相変わらず社宅住まいの居心地の悪さはありながらも、なかちゃんがそのありがたみを感じたのは ししょーが生まれてからです。子育て経験をしている先輩がたくさん周りにいるというのは、とても心強いものです。また、色々な月齢・年齢の子どもと交流できることは、ししょーにとっても良い刺激となります。程よい距離さえ保てば、これほどありがたい環境はありませんでした。
仕事が忙しいなーさんは なかなか子育てに参加してもらえません。以前の投稿でも書きましたが、ししょーが夜泣きをしてもなーさんは起きてあやすどころか全く目を覚ましません。土日も出勤する日もあれば夜勤の日もあり、必然的になかちゃん独りでししょーの世話をする状況にありました。
また、自分の生活リズムが乱されることを嫌うウツツママには、サポートも頼めませんでした。産後の “帰りたい事件” は、なかちゃんの胸に小さな棘となって残り、「ひとりでやるしかない」と思っていたのです。
そんななかちゃんを助けてくれたのは、社宅のお友達でした。ししょーが熱を出したときには、なかちゃんの分まで買い物をしてきてくれたり、夕飯のおかずを分けてくれたりと、できる範囲での協力をしてくれるご近所さんがたくさんいました。なかちゃん自身が熱を出したときには、ししょーを預かってくれた上にお世話もしてくれました。どれほど救われたか分かりません。ししょーは、たくさんの人のサポートのおかげで生きられたのです。
なかちゃんは孤独な育児、今でいう “ワンオペ” の環境にありながらも、初めての育児を何とか続けることができました。
『遠くの親戚より近くの他人』その後もずっと、なかちゃんとししょーを支えるリソースとして『他人様』は、いつも周りに存在し続けてくれました。

幼稚園か保育園か

『社宅』とは、会社が資産として所有している建物を、若い社員に安く貸し出すことで住居費にかかる家賃の割合を抑えられるようにした福利厚生の仕組みです。そこに住んでいる間 社員はある程度の貯蓄をし、一定の期間を過ぎると退室しなければなりません。社宅には何十年も住み続けることはできないのです。なかちゃんが住んでいる間にも、両親と同居したりマイホームを買ったりして出ていく人がたくさんいました。
決断する理由の多くは『子供の教育』を主体に考えるものでした。子供の幼稚園をどこにするか、その後続く小学校はどこに通わせるかということです。小学校の途中で移動となると、条件が合わなければ学校を転校することになり、子供に負担がかかってしまいます。実際社宅を出ていく人の多くは、最初の子どもの年齢が3歳になる年に、退室の決断をしていました。
ご多聞に漏れず、ししょーが3歳になる頃一気にそれは現実味を増しました。そして賃貸ではなく、家を買う方向でなーさんと話し合いをしました。
そんな中、なかちゃんはどうしても譲れない条件がありました。それは、ししょーを『転校させない』ということです。5年生で転校したあのつらい経験を、できればししょーにはさせたくなかったのです。
なーさんと相談して一度は家を決めましたが納得がいかず、仕切り直すことにしました。貯蓄を増やし、納得のいく家に住めるようになってから退室しようと決断したのです。ししょーを転校させないためにも、今住んでいる学区内で引っ越す。かなりの挑戦でした。
次の決断はすぐにやってきました。『幼稚園か保育園か』問題です。貯蓄を増やすためには、なかちゃんが働くのが一番の近道です。仕事から離れて3年以上経っていましたが、とにかく何でもいいから仕事をしようとなかちゃんは決意しました。
仕事をすると決めたからには、幼稚園という選択肢はなくなりました。でも保育園に入園するには様々な条件があります。特に認可の保育施設に入りたい場合は、保育の必要性の認定(支給認定)を受けなければなりません。当時仕事をしていなかったなかちゃんは、条件としてはとても不利でした。とにかく仕事先を決めて勤務予定証明書をもらわなければ入園選考はおろか、申し込みをすることさえできません。2年間しか社会人経験のないスキルも何もないなかちゃんでしたが、若さという武器だけでパートタイムの仕事を見つけることができました。そして入園選考の結果、何とか翌春から、ししょーの保育園入園が決まったのです。
これまで社宅という小さな社会しか知らなかったししょーも、いよいよ多くの人と関わる社会生活が始まります。また、なかちゃんも同じく、働きながら家事と育児をするという初めての経験が目の前に迫っていました。
さて、保育園生活の3年間にはどんなことが待っているのか…不安と期待の入り混じった新たなスタートです。

まとめとお知らせ

今回は、ししょーが0歳から3歳までのあいだに起きたエピソードと、育ってきた環境、支えてくれた周りの人たちについても書いてみました。
『小さく産んで大きく育てる』とは昔から言われている言葉ですが、小さいが故の危うさや、大きいからこその悩みなど、子育てにはあらゆる不安や迷いがつきものです。こども(人間)を育てるという『一大事業』は、とても母親独りでは成し得ません。どんなに頑張っても無理なことがあります。困ったときはお互い様。独りで抱えず、周りに助けを求めることは決して恥ずかしいことではありません。何よりも、お母さんが心身共に健康でいることが、子供にとっての安定に繋がります。
今でこそ立派な大人になったししょーですが、ひとりでは何もできなかった時があります。同じように、なかちゃんにも、ウツツママにもありました。生きてきた歴史の中には、身内以外にも多くの他人様がいたはずです。その時必要な人が、必ず周りにいたから、生きてこられたのでしょう。全てに感謝する気持ちを持ち続けたいものです。

さて、ここでお知らせです。なかちゃんはいよいよウツツでの次のステップが見えてきたようです。5つ目のステップで平坦な時期を過ごしている現在の状況から、なかちゃんはステップアップを試みることに決めました。
このブログも、3日に一度の投稿を目標にしてきましたが、今後は分かりません。5ステップシリーズのSTEP2という、途中での足踏みとなったことは少し残念ではありますが、ウツツに生きるなかちゃんの決断を尊重し、るかはこれからも傍で見守っていきたいと思います。
次回は、ご挨拶がてら久しぶりに対話形式で投稿したいと思います。
ここまでご覧いただきありがとうございました。

なかちゃん
なかちゃん

最後だけ登場~
まったね~!まったきってね~!

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STEP2_ep1 結婚→出産https://ruka-ito.com/step2_ep1-marriage-childbirth/Fri, 11 Aug 2023 15:40:58 +0000https://ruka-ito.com/?p=1476

今回はなかちゃんの成長記録「まいっか!」までの5ステップ STEP2、結婚してから出産するまでのエピソードです。]]>

ごきげんよう。 いとう るか です。
『まいっか☆いとうるか』
22回目の投稿となりました。
前回は なかちゃんの成長記録
「まいっか!」までの5ステップ
STEP1の最終段階、社会人になってから
結婚するまでのエピソードでした。
前回の投稿はこちら ⇓

ようやく独り立ち?

今回は、なーさんと結婚してから
ししょー誕生までのエピソードです。

結婚式と新婚旅行

結婚式は、遠方から親戚友人を招いて盛大に執り行いました。まだバブル崩壊直後ということもあり、ハデ婚最後の時代だったのかもしれません。どうしても綿帽子を被りたかったなかちゃんは、神前式を選びました。
式の直前、式場の案内の方から衝撃のひと言。「ご主人様、お渡ししていた誓詞(せいし)は一度お読みになりましたか?」なーさんはキョトン、なかちゃんはチーン。
そうです、神前式では夫となるなーさんが、宣言文を読むことになっていたのです。誓詞奉読(せいしほうどく)いわゆる「相和し、相敬し…」と神様に誓うあの言葉です。
結婚式の準備や式場との打ち合わせは、ほとんどなかちゃんがしていました。打ち合わせの資料の中に、その誓詞のコピーをもらっていたことに気付いたのはずっとあとのことです。とにかくもう間に合いません。なーさんは、ぶっつけ本番で誓詞を読むことになったのです。
式は滞りなく進み、いよいよ誓詞奉読です。初見のそれを、なーさんは緊張の中読み始めました。見慣れない日本語を何度もつっかえながら、何とか無事読み終えたなーさん。妻であるなかちゃんは最後に自分の名前を言うだけです。なかちゃんは申し訳なさと安堵で、なーさんは緊張でぐったりの神前式となりました。
披露宴と二次会も無事に終了。翌日からは新婚旅行へ。海外に全く興味のなかったなかちゃんは、なーさんと相談して会社の保養所巡りをする旅をすることにしました。それも九州。会社の同期や元上司など、現地を案内してくれそうな人脈と会社の口利きをフル活用しお得に旅をするという、新婚旅行っぽくないものでした。
福岡の中洲商店街で人生初めてのパチンコをしてみたり、屋台でワイワイ騒いだり、車であちこち案内してもらいながら観光地を巡ったりと、九州旅行は快適で刺激的な思い出となってなかちゃんの中に残りました。
いずれこの九州とのご縁が、なかちゃんに大きな影響を与えることになったのですが、それはまだずっと先のことです。

新婚生活と人間関係

結婚後なかちゃんとなーさんは、会社の社宅住まいとなりました。家賃は安いのですが何しろ古い。築30年以上は経とうかという昔ながらの建物で昭和そのものです。
浴室内には小さな洗面台、湯船の横にアナログな湯沸かし器、シャワーもありません。脱衣所もなく、玄関を開けたら風呂上りには丸見えという信じられない状況でした。食卓の真横にトイレのドアがあるという、何とも落ち着かない構造でしたが、周りの人も同じ条件なので文句は言えません。それでも大好きななーさんとふたりで暮らす家はとても楽しく、様々な工夫をしながら、なかちゃんは憧れだった専業主婦の日々を満喫していました。
自由気ままななかちゃんにとって“社宅”という環境は、やや居心地の悪いものでした。何故か なーさん経由で、なかちゃんの日中の行動が本人の耳に入るということもありました。
ある時、外出が長引き夕方帰宅した時のことです。そのあとしばらくして、なーさんが会社の人から「洗濯物や布団を遅くまで出している」と言われたそうなのです。
なかちゃんは、腹立たしいような恥ずかしいような、そしてなーさんに申し訳ない気持ちになりました。そして、人から監視されているような居心地の悪さを感じ始めていました。

アルバイトと妊娠

なかちゃんは、ウツツママから言われた「結婚すれば子供なんてすぐできるわよ」という言葉を信じていました。でも次第に「そうとも限らないのでは?」と、疑うようになっていきました。親の言うことを鵜呑みにする自分の癖に、この頃から徐々に気付き始めていたのです。
待っていてもすぐに子供は来ないんだと悟ったなかちゃんは、社宅の居心地の悪さも手伝い、アルバイトを始めることにしました。浅草の老舗のお蕎麦屋さんは、お昼時はとても忙しく、それまで何度か飲食店でのアルバイト経験があったなかちゃんでも目が回るほどでした。
そんな中での唯一の楽しみは、賄いで出してくれる『冷やしたぬき蕎麦』。それまでお蕎麦にあまり興味のなかったなかちゃんにとって、その美味しさと魅力を知るきっかけになったのが、賄いのお蕎麦でした。
ようやく仕事にも慣れた頃、妊娠が分かりました。待っている時は訪れず、忘れた頃に現れるものなのかもしれません。
たった3ヶ月ほどのアルバイトでしたが、なかちゃんは忙しさと自由、そして美味しいものとの出会いなど、多くのことを学ぶことができた貴重な時間を過ごしました。そして今も、蕎麦は冷やしで、最後には必ず蕎麦湯を頂くなかちゃんなのでした。

体調不良と入院

「なんか調子悪いな…」なかちゃんは妊娠が分かってから、そんな毎日を過ごしていました。「つわりは一時的なものだから、すぐ良くなるわよ」そんなウツツママの言葉も、今回ばかりは始めから信じることができないほど、具合の悪い日が続きました。仕事を辞めまた専業主婦になったこともあり、何とか家事だけでもちゃんとやろうと思いながらも、動くことができません。買い物に行っても、特にスーパーのお肉売り場は呼吸を止めなければならず、なーさんのためにご飯を作るのもやっとでした。どんどん体重は落ち、みるみるうちに顔がこけ始めました。
ある日の妊婦健診で子宮内の出血が見つかり、切迫流産との診断を受けました。すぐに入院、病院のベッドで安静にする日々が続きました。症状が落ち着いたところで退院。その後も自宅で安静にする毎日です。その頃には少しお腹も張り出してきていましたが、何しろなかちゃんはガリ痩せしているので、本来の妊婦さんのような福々しさはありません。少し動くとお腹が張り、座り込む毎日に「なかちゃんだけなんでこんな状態なんだろう…」と嘆いていました。
その後も、切迫早産の危機を何とか薬で食い止め、だましだましお腹の子を生かしながら8か月目に入りました。

出産と救急搬送

妊娠中に通っていた近くの総合病院には、産科がありませんでした。出産が近くなった段階で転院することにしていたので、明日紹介状をもってその産婦人科医院に行こうとしていた矢先のことです。
朝方、なかちゃんは布団が濡れていることに気付き目が覚めました。なーさんを起こし、これは破水か?尿漏れか?という確認を二人でしましたが判断が付きません。とにかく病院に行こうとなりましたが、当時はマイカーがありません。社宅で仲良くしてくれていた家族に連絡をしたところ、病院まで車で送ってくれることになりました。
「今日からお世話になる予定だった者です…」そんな挨拶で院長先生と初対面です。診察の結果、少し破水しているとのことでそのままなかちゃんは入院。急きょ出産が目の前の現実となりましたが、何の虫の知らせか、一週間前に入院と出産の準備を済ませていたことがここに繋がり「そゆことね…」と、なかちゃんはちょっと納得していました。
平日だったこともあり、なーさんはそのまま仕事に行きました。なかちゃんはひとり、病院のベッドの上で天井を見上げていました。結婚も妊娠も早かったなかちゃんは、同級生に出産を経験した友達もおらず、インターネットもない時代です。情報源はよくわからない育児本と、昔の経験者ウツツママくらいでした。知り合いもほぼいない、ましてや今日初めて来た病院での出産は、もうお手上げ状態でぼんやりしていました。
なかなか陣痛が進まないガリ瘦せのなかちゃんは、陣痛促進剤で出産を促すことになりました。仕事を早々に切り上げて夕方駆けつけてくれたなーさんが来た時には、なかちゃんは「遅いよ!!」と怒鳴り散らす状態になっていました。
体力の限界だったなかちゃんの状態から、鉗子を使って子どもを引っ張り出すことになりました。産まれたはずなのにすぐに泣かない赤ん坊に「何で泣かないの?何で泣かないの?」とオロオロ。処置を済ませ、小さな声で「ふえ~…」と声が聞こえた時、なかちゃんは「すぐに声が出ないのには色々な理由があるんだ」ということを知り、安堵したのです。これが、いずれなかちゃんを支えることになる『ししょー』の誕生です。
喜びも束の間、手のひらにわずかに乗る小さな頭は縦に延び、子猿のようなやせ細った赤ん坊はすぐに救急搬送され、なーさんと共にいなくなってしまいました。そしてまた、なかちゃんは病院のベッドでひとり、天井を見つめていました。
なかちゃんは、自分が出産というものに向かない体質なんだということを、妊娠していた8か月の間に痛感しました。原因は分かりません。持って生まれたものなのか、自分の行動が悪かったのか、そして次は平気なのか…自分を責めたところで仕方ないけれど、小さく生まれた子供への申し訳なさは、その後大きく成長するまでしばらく続くのでした。

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まとめと次回

今回は、なかちゃんの成長記録「まいっか!」までの5ステップ STEP2の最初のエピソードとして、結婚してから出産するまでのエピソードでした。
結婚して自由になった気でいたなかちゃんですが、社会で生きていくということは、不自由なことも思い通りにならないこともあります。人との関りの中で窮屈なこともあれば、助けてもらえることもあるように、物事には両面があるのです。
一人の人間をこの世に生み落とし、育てていく責任を背負ったなかちゃんですが、本当の意味で成長するのはこれからです。この先待ち受けている試練によってどんな風に成長していくのでしょうか。

さて次回は、子育てをしていく中で改めて社会との繋がりを意識し、パートタイム労働者として社会復帰するまでのエピソードを書いてみたいと思います。

なかちゃん
なかちゃん

最後だけ登場~
まったね~!まったきってね~!

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STEP1_ep6 20歳→22歳https://ruka-ito.com/step1_ep6-20-22/Tue, 08 Aug 2023 14:58:23 +0000https://ruka-ito.com/?p=1447

今回はなかちゃんの成長記録「まいっか!」までの5ステップ社会人になってから結婚するまでのエピソードです。]]>

ごきげんよう。 いとう るか です。
『まいっか☆いとうるか』
21回目の投稿となりました。
今回は なかちゃんの成長記録
「まいっか!」までの5ステップ
社会人になってから結婚するまでの
20歳から22歳までのエピソードです。

社会人スタート

自宅から配属先の支店までは電車で約1時間半。満員電車には慣れてきていましたが、学生とは違い毎日同じ時間の電車に乗るのがしんどかったなかちゃん。なんやかやといつもギリギリの到着でした。
入社後、しばらくは制服がありませんでした。数か月後の社名変更に合わせて制服も変わるとかで、私服で仕事をしました。そんなこともあり、学生気分がちっとも抜けずにいたなかちゃんは、ヘラヘラしていたところを他部署の重鎮にどやされる始末。バブル期のOLみんながこんな感じだったわけではありませんが、今の時代に比べると何となく社会全体が浮足立ち、ふわふわしていたのかもしれません。
充実した福利厚生も、部署で使える経費も、会社が払ってくれるそれらに甘えて浮かれ状態だったなかちゃんは、仕事というものは、そんなにつらくないものという感覚が埋め込まれました。

なーさんとの出会い

ようやく制服が着られてちょっとOLらしくなった気分でいたなかちゃんは、部署内で社名変更の式典が始まるのを待っていました。先輩営業マンが「なーさんっていういい男がいるんだよ~。今日は出張先から戻ってくるぞ!」とやたらと話しかけてきます。当時カレシもいて他に興味がなかったなかちゃんにとっては「誰それ?」くらいの印象でした。
式典が行われる一番広いフロアに入った瞬間でした。一番遠くに見えた、ひょろっと頭一つ飛び出た人が目に入った瞬間でした。「あ!なかちゃんあの人と結婚する!」と脳裏に浮かんだのです。でもすぐに「え?なになに?何だ今の?そんなわけない!」とすぐにもみ消しました。一瞬のこととはいえ、なかちゃんは動揺していました。それが、いずれ伴侶となる なーさん との出会いでした。
そしてそれはなかったこととして、半年ほど年月が過ぎ去りました。

糸が繋がる

社会人になったなかちゃんは、とにかく家を出るための手段として『結婚』をするため、次から次へと伴侶を探し回っていました。「この人じゃない…この人もなんか違う…」そうこうしている間に、社内でスキー合宿に行くことになりました。
バブル全盛期は映画の影響もありスキーが流行っていました。子供の頃から苦手なスキー。本当はやりたくないなかちゃんも、サークル時代に買ったスキーウエアもある事だし、懇親会だし、しぶしぶ参加することになりました。
参加してみると案の定、山の一番てっぺんまで連れていかれます。そして何度もコケながらしょんぼり降りてくるなかちゃん。ちっとも楽しいと思えずに半べそでゲレンデにいると、なーさんがその脇を颯爽と滑っていきました。「助けてはくれないのね…フン」と拗ねながらも、羨ましいような頼もしいような気分になっていました。
夜の宴会は盛り上がっていました。二次会の部屋飲みもなんだか疲れて、なかちゃんは部屋を出ました。すると、そこにはなーさんもいたのです。そして色々な話をしました。なかちゃんは初めて『阿吽の呼吸』という体験をし、なーさんと話すことはとても自然なことだと感じました。この時、少しずつ近づいていた糸が、ようやく繋がったのかもしれません。

体よく寿退社

カレシとも別れ、なーさんと付き合い始めると話はとんとん拍子に進み、何かの流れに乗ったようにあれよあれよと結婚式の日取りが決まりました。そして、当時は当たり前だった『寿退社』という体のいい退職をすることになったのです。
ちょうど同じころ結婚が決まった同期の女子は、結婚後も仕事を続けるという人生の選択をしました。『仕事と家庭の両立』という選択をする時代のまさに走りでした。なかちゃんは考えてもみなかったのです。「結婚後も仕事?何のために?結婚したら辞めるんじゃないの?主婦にはならないの?大変じゃないの?」疑問だらけでした。だって、ウツツパパとウツツママを見て育ち『結婚したら専業主婦になる』ことは当たり前のように刷り込まれ、なかちゃんの中に刻み込まれた根強い信念は、一種の『夢』となっていたのですから。一片の悔いもなく、たった2年間という短い会社員生活は終了しました。
「やった~!これで実家を出られる!自由になれる!」なかちゃんはこれで全て解決したと信じ、何の疑いも持ちませんでした。そして数か月後に行われる結婚式の準備に追われる中で、あの時抱いた疑問のことなど、すっかり忘れて放置してしまいました。

まとめと次回

今回は、STEP1の最終段階、
社会人になってから結婚するまででした。
この世に生まれてから、こども時代を経て学生・社会人となり、人生の伴侶と出会い、ひとつの大きな節目を迎えました。
これまでは両親の加護の下生活していたなかちゃんにとって、本当の苦労はここから始まるのでした。
なかちゃんの成長記録
「まいっか!」までの5ステップ
STEP1はここまで。
次回からはSTEP2のエピソードです。

なかちゃん
なかちゃん

最後だけ登場~
まったね~!まったきってね~!

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なかちゃんコロナに感染https://ruka-ito.com/covid-19/Fri, 04 Aug 2023 06:07:24 +0000https://ruka-ito.com/?p=1438

なかちゃんが新型コロナウイルスに感染してしまいました…]]>

ごきげんよう。 いとう るか です。
『まいっか☆いとうるか』
20回目の投稿となりました。
前回に引き続き なかちゃんの成長記録
「まいっか!」までの5ステップ を
投稿する予定でしたが、
なかちゃんが新型コロナウイルスに
感染してしまいました…

なかちゃん
なかちゃん

ちょっと油断してしまった…

るかちゃん
るかちゃん

大事に至らなくてよかったね

なかちゃん
なかちゃん

まぁね…
愛車がぶっ壊れなくてよかったよ

るかちゃん
るかちゃん

とりあえずもう少し大人しくしていましょう

なかちゃん
なかちゃん

まだ身体がおかしいよ~
肉体がある以上
ウイルスとの戦いは終わらないね

るかちゃん
るかちゃん

また元気になったらブログも始めましょう

なかちゃん
なかちゃん

わかった~

るかは見守る事しかできませんが
少しずつなかちゃんも元気になってきています。
これもひとつの経験となりました。
記録として今回は投稿致しました。
またいずれ再開したいと思います。

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STEP1_ep5 16歳→20歳https://ruka-ito.com/step1_ep5-16-20/Sun, 30 Jul 2023 14:51:01 +0000https://ruka-ito.com/?p=1342

今回は、高校生から短大生までの、社会人になるまでのエピソードです。]]>

ごきげんよう。 いとう るか です。
『まいっか☆いとうるか』
19回目の投稿となりました。
前回は なかちゃんの成長記録
「まいっか!」までの5ステップ
10歳から15歳までのエピソードでした。
前回の投稿はこちら ⇓

新たな経験は刺激がいっぱい

今回は、高校生から短大生までの
社会人になるまでのエピソードです。

高校

勉強

小指一本で何とか合格したということは、高校に入ってからどういうことになるのか…お気楽思考のなかちゃんは、試練が待っているなどとは夢にも思っていませんでした。
その試練はすぐに訪れます。1年生の1学期、数学の期末テストで なんと0点を取ってしまったのです。さすがのなかちゃんも初めての経験です。「えらいことになった…」と本気で焦りました。追試で合格点を取らなければ一体どうなるのか…そんなことを考える余裕もありません。とにかく必死で勉強しました。
そして追試を受けた結果…驚くことに100点を取ってしまったのです。これがいけなかった。
地獄から一転、短期間で一気に天国へ。結果的に「なぁんだ、なかちゃんってやればできるんじゃね?」という、お調子者のお気楽思考に拍車をかけるきっかけとなってしまいました。
その後も、なかなか勉強に身が入らなくなってしまったのは、この「やればできるんじゃね?」の楽観視を自分で植え付けたことが原因です。試験前に一気に勉強をするクセは抜けず、他の教科はまだしも苦手の数学はいつも赤点ギリギリ。それでも、過去の“何とかなってしまった経験”で、なかちゃんは危機感を抱かないまま3年生まで低空飛行を続けたのでした。

部活

1年生の時は、マネージャーとして女子バレーボール部に入部しました。何故やったこともないバレー部に入ったのか、なかちゃん本人も未だ動機が不明のようです。ルールも曖昧、スコアブックも書けない。結局1年で退部してしまいました。
2年生になり、同じように1年で他の部活を辞めた友達数名と、今度は無線部に入りました。他の友達の動機は分かりませんが、なかちゃんは「学校で一番高い場所に行ける!」という安易なワクワク感がその理由でした。そうなんです。無線部は、最上階の更に上の、屋根裏のようなところが部室だったのです。幼いころから高い所や狭い所、基地のような場所が大好きだったなかちゃんは『空間』で決めてしまいました。とは言え部活ですから、無線(HAM)を使えるようにならないといけません。なかちゃんは、好きも嫌いもなく全く無知のところから、無線従事者免許の試験を受けることになりました。
試験勉強を始めてすぐ「これは理系の内容だ!」ということに気付きました。苦手な部類の勉強を、学校の勉強に加えてやることになり「あちゃ~」と思いながらも、自分で決めたことなので逃げられません。二度の受験で何とか免許を取りました。これもまた「やればできるんじゃね?」と半端な自信を付ける要因になってしまったのですが…
無線部には卒業まで在籍しましたが、結局肝心の無線機に触ったのは数えるほど。ほぼ男子部員しか活動していませんでした。唯一部活動らしいことをしたのは3年生の文化祭。校内放送のラジオDJをしたことです。学校で人気のミスとミスターにインタビューをしたり、音楽を流したり、全く無線とは関係のない部活動が一番の思い出となっています。
もちろん今も無線を使うことはありませんが、話のネタとして活用しています。そして頑張って取得した免許証は、努力の結晶として今も大切に保管しているのでした。

恋の始まり

それは突然のことでした。1年生の体育祭、女子バレーボール部は、ゴールした人を着順に座るよう案内する係をしていました。なかちゃんが、2着で走り込んできた3年生の先輩を捕まえた時でした。一瞬で心惹かれたのです。何がということではなく、不意に落ちたということでしょう。それから何年もの間その人一筋に思いを寄せるほど、なかちゃんの青春でした。
先輩には彼女もいました。先に卒業もしてしまいました。でもそんなことはなかちゃんにとって大したことではなかったのです。ただその人に出会えたことが幸せでした。無理を言ってお茶に誘ったり、遠くまで会いに行ったりもしましたが、先輩はいつも大人の対応をしてくれました。誰も傷付かないように、優しく適切な距離で接してくれたのです。
やったこともないバレーボール部に入ったのは、この人に出会うためだったのかもしれません。

幻のダンス部

30年以上も前の話です。なかちゃんと数名の友達で「ジャズダンス部を発足させよう!」としたことがありました。
きっかけは、女子バスケットボール部が練習前のウォーミングアップとして取り入れていたダンスでした。音楽が聞こえてくると、体育館内の部活はもちろん外で部活をしていた人たちも、一緒になって真似をしていました。みんなで身体を動かす楽しさというものを、その時なかちゃんは初めて知ったのです。
今でこそ学校の授業でも取り入れられているダンスですが、当時の田舎は情報もなく、指導者もいません。先生に掛け合ってみたものの、部員数や活動内容など色々な条件を出され、断念せざるを得なくなってしまいました。
でもなかちゃんは信じていました。「みんなで踊るダンスはこんなに楽しいんだから、必ず日の目を見る日は来る!」と。
数十年後、Choo Choo TRAINでダンスブームを作ったのが同世代のHIROさんだと知った時、なかちゃんはあの頃のことを思い出し、胸が熱くなるのを感じました。そしてみんなで踊る楽しさを広め、新しい時代を作ってくれたHIROさんに、今も勝手に感謝しているなかちゃんなのでした。

トラウマ

ある時 なかちゃんはウツツママと一緒に、電車に乗って買い物に出かけました。田舎の沿線とはいえ週末ということもあり車内はかなり込んでいました。座る席もないので、ふたりでドア付近に立っていました。
ドアにもたれかかるようにひとりの女性が立っていました。何となしになかちゃんの視界に入っていて(妊婦さんかな?)とも思っていました。そう思った次の瞬間、その女性がふらつき座り込みそうになったのです。(あ!)と思ったなかちゃんが、手を差し伸べようとした時です。「ダメ!」と、ウツツママに制止されたのです。そして小声で「どんな人かわからないから!」となかちゃんの手を引きました。そして、見てはいけないとでも示すように目を逸らしたのでした。
なかちゃんは考えていました。いったい何がダメだったんだろう、手を差し伸べたことがいけなかったのか、そうしようとした自分の判断が間違っていたのか…考えても考えても、何も分かりませんでした。ウツツママに倣って目を逸らし、窓の外を見つめ続けました。もうその女性を見ることはできません。だからそのあと、その女性がどうなったのかも分かりませんでした。
なかちゃんが助けようとしたのは、考える前の反射的な行動でした。その瞬時の判断に対する『自分への信頼』は、こんな些細な出来事をきっかけに崩れることとなったのです。なかちゃんは、この時生まれた自信のなさを、お調子者のお気楽思考で覆い隠し、無意識下に押し込め、フタをしてしまいました。

大学受験

3年生のクラス編成は、進路により文系と理系ではっきり分かれました。数学が鬼門のなかちゃんはもちろん文系でしたが、じゃあ将来何がやりたいのか?と聞かれても、何もない状態でした。英語、文学、法律、経済、経営…どれもなかちゃんにとってはピンとくるものではなく、方向性を決めかねていました。
唯一興味のあったことはお菓子作り。小さい時から暇さえあれば何か作っていました。これは専業主婦のウツツママが、家計のやりくりのためなるべく手作りしていた影響でしょう。誕生日ケーキやおせちなど買ったのを見たことがなかったため、なかちゃんにとって家庭で作ることは日常でした。
ウツツパパとウツツママは、あにうえに対する期待とは違い、なかちゃんに対しては大学に行くことを強く勧めることもなかったことから、とりあえず興味のある食べ物に関する学科のある短期大学に進むことにしました。
とは言えこれまでお気楽思考でやってきたなかちゃんです。案の定成績は芳しくありません。高校受験同様、ギリギリになって焦ったのは言うまでもありません。推薦入試もことごとく落ち、一般受験で何とか合格できたのでした。

短大

お育ちの違い

なかちゃんは高校卒業のタイミングで、先に転勤が決まり関東に引っ越していたウツツパパとあにうえに合流し、再び家族4人で暮らすことになりました。そして、自宅から2時間かけて短大に通うことになったのです。
入学した大学とその短期大学部は、系列の中学・高校からエスカレーター式に進学してきたお嬢様がたくさんいるところでした。ブランド品を身にまとい、バブル期ならではの化粧を施した女子大生が、意気揚々とキャンパスを闊歩していました。
類は友を呼ぶと言いますが、なかちゃんの周りは一般受験で入学してきた友達ばかり。それなりの身なりとそれなりの生活習慣。ごく普通の学生でした。育った環境でこんなにも金銭感覚が違うものかと、社会の縮図を見た気がしたのでした。
学校の勉強は相変わらずやっつけ癖が抜けず、試験前にドカッとやり、何とかくぐり抜けるというパターンは変わりません。実験や実習は興味深かったものの、やればやるほど「これをやりたいんじゃないなぁ…」と、意欲を失っていく自分にも気が付き始めていました。

恋の終わり

運命のいたずらでしょうか。偶然にも、長年思いを寄せていた先輩の大学は目と鼻の先でした。せっかく近くにいるのだからと、何度か手紙を書きました。でもどんなに調整してもタイミングが合わず、不思議と会えなかったのです。
携帯電話のない時代、自宅に電話をもらうのは勇気がいりました。でもどうしても会いたかったなかちゃんは、手紙という手段を諦め、日にちと時間を指定して先輩から自宅に電話をもらうことにしました。
そしてその当日。なかちゃんはアルバイトから帰ってきたあと、異様な睡魔に襲われました。このあと先輩から電話がくる予定です。何とかその時間までと思いましたが敵わず、ウツツママに「電話がくるからもし寝ていたら起こしてね」と頼み、少しだけ眠ることにしたのです。
目を覚ましたのは翌朝でした。跳び起きたなかちゃんは「何で起こしてくれなかったの!」と言いましたが「起こしたけど起きなかったから」というウツツママの言葉。もう何も返す言葉もなく、茫然とするばかりでした。
なぜ、あのような睡魔に襲われたのかはわかりません。どんなに会いたいと思っても、会えない人には会えないんだということを痛いほど知ることになりました。そして『無理矢理手繰り寄せる糸は切れる』ということを学び、なかちゃんの一途な恋も終わりを迎えました。

サークル活動

バブル全盛期のサークル活動は、とても華やかなものでした。なかちゃんは流されるまま他大学のサークルに入り、テニス合宿やスキー合宿、ダンスパーティーにも参加しました。そのためにアルバイトでお金を稼いでいたようなものです。お金が入っても出ていくだけの循環にただただ流され、表面上は楽しかったものの、虚無感に襲われることもしばしばありました。
以前の投稿にも書きましたが、なかちゃんのおうちは門限が夜11時です。東京都心の繁華街でパーティーがあると、9時半には店を出なければなりません。サークルの男子からは「付き合いわりいな」と言われましたが、ウツツパパに話せば「そんな奴ら相手にする必要はない!」と一蹴です。確かにそうだと思いつつ、とは言えもう少しみんなといたかったという思いでモヤモヤしたまま、家のルールに従うしかありませんでした。
ウツツパパの心配する理由も頭では理解していました。でもまだ若かったなかちゃんは、家のルールを窮屈に感じ始めていました。そして少しずつ「このまま親に従って生きていっていいのかな」と思うようになっていきました。

就職活動

バブル景気真っ只中の就職活動は、まさに売り手市場で求人は山のようにありました。ほどほどの成績のなかちゃんでも、選ばなければ何となく就職できそうな状況でした。特にやりたいこともみつからないまま卒業を控え、大学に貼られていた求人票をぼんやり眺めていました。
そしてふと、目に留まった会社がありました。会社概要や業務内容を見て、よくわからないけど受けてみようかなと思ったのです。自宅に帰り、求人票をウツツパパに見せたところ系列会社であることが分かりました。
特段就職活動もせずに、その会社から内定通知が届きました。今思えば『縁故』採用だったのかもしれませんが、なかちゃんの意識の中では「見つけた」という感覚でした。
何となく「そうだ、内定のお礼を言わなきゃ」と、人事担当の方に手紙を書きました。すると後日、ウツツパパが「人事宛てに手紙を書いたのか?」と言ってきたのです。そうだと答えたなかちゃんに「そんな人初めてだと痛く感動していたぞ!」と言われたのです。今では就職活動の流れで当たり前になっている内定のお礼メールですが、当時としては珍しかったのかもしれません。
いずれにしても、この会社に就職が決まったことで、のちの伴侶となる なーさん と出会うことになりました。

ひとりぼっちの成人式

成人式の招待状は、住民票のある自治体から届きます。なかちゃんは高校卒業と同時に引っ越してしまったので、青春時代を過ごした場所での成人式には出席できませんでした。(今は希望する自治体で出席できるようです)住んでいる場所には同級生もいなければ知り合いもいません。出席したところで、知っている人は誰もいないのです。でも、ウツツパパとウツツママからは「一生に一度なんだから出席しなさい」と言われ、しぶしぶ出席することにしました。
成人式当日、振袖を着せてもらいました。着飾って嬉しかったのも束の間、「もう成人なんだからひとりで行きなさい」と言われたのです。つまり、会場までもひとり、会場でもひとりです。頭をガンと殴られたようなショックを受けました。
会場までの長い道のりを、なかちゃんはひとりでとぼとぼ歩きました。会場に着くと、同級生の仲間が集まって久しぶりの再会に沸き上がっています。お互いに写真を撮りあったり笑い合ったりしています。ご両親が娘の晴れ姿を写真に収めているのも目に入りました。綺麗な着物を着たなかちゃんは、独り、会場の席に座りました。
帰り道、同じ道をひとりで歩きながら涙が溢れました。出席したことさえも後悔していました。自宅に帰ると、ウツツパパとウツツママはいつも通り生活していました。もう涙は出ません。
この時なかちゃんの中で何かが壊れてしまいました。

まとめと次回


今回は、高校生から社会人になるまでのエピソードでした。大人と子供の狭間で揺れ動く年頃です。
恋に恋して、そして失って、少しずつ色々な事を学んでいきますが、大人になったのに大人になれないなかちゃんは、アイデンティティの拡散に気付かないまま、このあと社会にでることになります。
次回は、STEP1の最終段階。
社会人になって結婚するまでです。

なかちゃん
なかちゃん

最後だけ登場~
まったね~!まったきってね~!

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STEP1_ep4 10歳→15歳https://ruka-ito.com/step1_ep4-10-15/Wed, 26 Jul 2023 14:58:11 +0000https://ruka-ito.com/?p=1269

今回は、家族で引っ越し、学校を転校した10歳から中学校卒業までのエピソードをお伝えします。]]>

ごきげんよう。 いとう るか です。
『まいっか☆いとうるか』
18回目の投稿となりました。
前回は なかちゃんの成長記録
「まいっか!」までの5ステップ
6歳から10歳までのエピソードでした。
前回の投稿はこちら ⇓

気づきと学びと切なさと

今回は、転校した10歳から
中学校卒業までのエピソードです。

新しい環境

なかちゃん家族が引っ越した先はとても温暖な気候で、お茶やみかんの生産が有名なところでした。実は引っ越す前に一度、家族で新しい家を下見に行ったことがあるのですが、なかちゃんは自宅に戻った直後40℃の高熱を出してしまいました。寒暖差も含め、生まれて初めて経験する大きな環境の変化に、身体がビックリしたのかもしれませんね。
引っ越し早々、なかちゃんは あにうえと一緒に家の周りを探検しました。そこには初めて見るものばかり。一面に広がる田んぼや用水路などは見たことがありません。道路はこれまで見てきたものよりもかなり狭く、車に轢かれてぺしゃんこになったヘビやカエルの死骸がいくつもありました。家の屋根は瓦でできていて、隣の家との間隔も狭く少し窮屈な印象でした。ワクワクする景色も、ちょっとビックリした光景も、どれも新鮮な驚きがありました。
探検していると、田んぼ脇で大きなウシガエルを見つけました。なかちゃんは元々カエルが大好きで、オタマジャクシも卵から孵して飼っていたこともあります。嬉しくなって捕まえて、家に持ち帰りました。
「ねぇ見て!すごい大きいカエルを見つけたよ!」と、両手いっぱいの大きなカエルを掴んで、ウツツママに見せたからさあ大変です。なかちゃんがこれまで聞いたこともないような叫び声とともに「早く捨ててきなさい!」と怒鳴られてしまったのです。なかちゃんはてっきり「すごいね!」と言ってもらえると思ったのですが、怖がらせてしまったうえに怒鳴られてしまったのです。しぶしぶ田んぼに戻り、元いた場所にウシガエルを返してきました。
この時なかちゃんは、自分が楽しいと思うことが、他の人も楽しいと感じるとは限らないんだということを知りました。

新しい学校

古い木造校舎は、なかちゃんにとってはむしろ新鮮でした。長年たくさんの人に触れられてきた階段の手すりは、つるつるして触り心地が良く、ピカピカと光って見えました。
なかちゃんとあにうえには『転校生』という期間限定の名札が付いていました。人の噂も七十五日と言いますから、いつの間にかそれも外されたのでしょう。それでもしばらくは、遠い北国から来た謎の生物を一目見ようと、多くの関心を集め、常に誰かに見られているという学校生活が続きました。
なかちゃんは、前の学校でも転校生は何人か見ていたけれど、自分がその立場になって初めて、とても不安で居心地の悪いものなんだということを知ったのです。
学校生活では、次々と試練が訪れました。その学校には、学校指定の制服がありました。その他にも体操着、学年帽、給食着、上履き、絵具や裁縫セット・書道セットまで全て、入学時点でみんな同じものを揃えて買っていたのです。
これまで自由な校風の中で育ったなかちゃんとあにうえには、みんな同じものを持つという感覚がありませんでした。転入してしばらくは制服がなく、私服で学校に通わなければならなかったことも、注目を集める要因となってしまい、そしてそれは『自分はよそ者なんだ』という意識を更に強く植え付けるものとなりました。
中でも水着は最たるものでした。何しろなかちゃんの水着は『水遊び』仕様です。フリルの付いた真っ赤な水着は、紺色のスクール水着の中で否応なしに目立つものとなり、笑われたり指を指されたりと更に居心地の悪さを増しました。
そして勉強。これまでほとんどせずにぼ~っと生きていたなかちゃんにとって、新しい学校での学習スタイルは大きなショックでした。宿題の多さはもちろん、塾に通っている子もいました。当然追い付いていませんからやることが山のように出てきたのです。この頃のことをなかちゃんは「人生で一番集中して勉強した」と言っています。
大きなショックは続きます。春に終わったはずの『運動会』。なんと新しい学校では『秋』に開催されるのです。まさか年に2回も運動会をすることになるとは夢にも思わず「わたしはもうやりました!だから出ません!」とも言えず、なかちゃんの落胆はいかばかりだったか…想像に難くありません。
何とか5年生をやり過ごし、ようやく環境にも慣れた頃6年生になりました。高学年の2年間は怒涛の勢いで通り過ぎていくのです。

新しい恋

なかちゃんには気になる男の子ができました。前の学校で好きだった子に似て、とても優秀で恥ずかしがり屋さんでした。
ある時、意を決して手紙を書き、その子の家のポストに投函しました。初めてのことで戸惑いながらも勇気を出してやってみたのです。
なかちゃんは、学校であったことや友達とのことを何でもウツツママに話していました。だから今回も、ちょっと恥ずかしかったけど、ワクワクドキドキ感を共有したくて話してみたのです。
その時ウツツママは、アイロンがけをしていました。その横顔に「あのね…」という切り出しで手紙を出したことを伝えた時、返ってきた言葉は「後悔するよ」という一言。その言葉は、ため息混じりで半ば呆れるような音色を含んでいました。そしてまたアイロンがけを続けるウツツママの横顔を見ながら、なかちゃんは恥ずかしさを誤魔化す言葉をいくつも並べました。でも、並べた言葉は全て突き放され、笑顔が返ってくることはありませんでした。
「後悔するよ」確かになかちゃんは後悔しました。手紙を出したことよりも『ウツツママに話したこと』を後悔しました。そしてこの受け止められない、突き放された感覚は、長くなかちゃんの自己否定の元凶となって残ることとなりました。

人を好きになること、そのような人に出会えたこと、それだけで「とても幸せなこと」だということは、今のなかちゃんにはわかります。そして否定的な言葉しか返さなかったウツツママにも、きっと思いがあってのことだということも…
未熟だったなかちゃんの新たな恋は、自分に対する無価値観が邪魔をし、これ以上踏み出すことはできずに、再びフェードアウトしてしまいました。

新しい仲間

小学校で転校生として過ごしたことをきっかけに、なかちゃんのぼんやり気質は一転しました。馴染むためのスキルとして、男女関係なく積極的に話しかけ、時には自分をネタに笑ってもらうこともできるようになっていました。
中学校に入ると、別の小学校から来た同級生が加わり、更に環境が大きく変わりました。先輩後輩という上下関係がはっきり線引きされ、あにうえに対しても先輩という意識が芽生えます。反抗期真っ盛りのあにうえとは家で会話することは多くありませんでしたが、学校でのあにうえはちょっとだけ頼もしく見えて、誇らしくもありました。
運動会は『体育祭』という名称になり、合唱コンクールも一気に大人びた行事に感じられました。特に3年生という煌きは、なかちゃんの目にとても眩しく映り、憧れの先輩もたくさんできました。「〇〇先輩が廊下を通った!」「〇〇先輩が校庭でサッカーしてる!」などなど、日々キャーキャーと青春を謳歌していました。こんな調子ですから、部活動もそれなり、勉強もそれなり。なかちゃんにはあまり危機感がなく、何かと理由を付けては現実逃避していました。

新しい試練

『受験』というパワーワードは、キリギリス状態で過ごしていたなかちゃんでさえも、意識せざるを得ない力を持っていました。そして、キャーキャー過ごしていたツケはしっかり回ってきたのです。
あにうえは、色々なプレッシャーを抱えながらも進学校と呼ばれる高校に入りました。でも、お調子者のなかちゃんは大した勉強もしておらず、案の定最終学年になって慌てる始末。とてもあにうえのようにはいきませんでした。
相変わらず苦手が克服できない算数改め数学も、やらないわけにはいきません。ぼんやりもしていられず受験勉強に取り掛かります。始めてみて「間に合わないんじゃないのこれ?」そう思ってもあとの祭りです。いつもテスト前に一気に勉強する癖は抜けず、受験もやはり直前になってから、得意の「おりゃ~!」でやることになってしまいました。
受験当日は学校の同級生と試験を受けに行きましたが、みんながライバルです。そんな感覚がとても嫌で「競い合うのってやっぱ嫌い」と内心感じていたなかちゃんは「受験なんてなければいいのに」と思いながら、ついでに「体育祭もなければいいのに」という虫のいいことまで考えていました。
合格発表は、高校に貼り出されました。イマドキのネットでログインなどがない時代です。自分の受験番号を目で追うリアルなドキドキ感は、合格した人にとってもそうでなかった人にとっても『体感』として想い出に残るのではないでしょうか。
お調子者のなかちゃん。運だけはいいと自負するように、何とか志望校合格です。
でも、日々誠実に努力している人には敵いません。「小指一本で何とかつかまった!」とふざけていたなかちゃんは、やはりここでもそのツケが、あとから回ってくるのでした。

まとめと次回

今回は、転校してから中学校卒業までのエピソードをお伝えしました。
ぼんやりからお調子者へと変身したなかちゃんですが、このお調子者も、のちのち自分を苦しめることになってしまいます。でもそれも進化の過程。環境の影響、考え方や気持ちの変化で『本当の自分』を模索しながら成長していくのでしょう。
次回は高校から社会人になるまでです。

なかちゃん
なかちゃん

最後だけ登場~
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STEP1_ep3 6歳→10歳https://ruka-ito.com/step1_ep3-6-10/Sat, 22 Jul 2023 07:47:43 +0000https://ruka-ito.com/?p=1178

今回は、小学校に入学した6歳から、人生の転機となった10歳までのエピソードをお伝えします。]]>

ごきげんよう。 いとう るか です。
『まいっか☆いとうるか』
17回目の投稿となりました。
前回は なかちゃんの成長記録
「まいっか!」までの5ステップ
3歳から6歳までのエピソードでした。
前回の投稿はこちら ⇓

新しい出会いは人生を彩ります

今回は、小学校に入学した6歳から
なかちゃんにとって人生の大きな転機となった
『転校』までのエピソードです。

入学

なかちゃんが入学した小学校は、幼稚園とは真逆の方向にありました。なかちゃんにとっては全く知らない土地でした。こどもの足で20分くらいの距離。児童数も少なかったからでしょう、集団登校ではなく兄弟や近所の友達と一緒に通っていました。
その学校は『ランドセル』ではなく『ランドリュック』という名前の通学カバンを使うことになっていました。軽くて撥水性もあり、とても機能的なものでした。昨今では、重いランドセルを改善しようと全国で話題になっていますが、雪深い地域では、古くからこのような仕様の通学カバンが存在しました。
また、制服や体操着はありませんでしたが、運動会ではなぜが『足袋』が指定でした。足の裏がゴム製になっていて滑りにくいのですが、地下足袋ほどの厚みはなく小石を踏むと痛かったようで、運動嫌いななかちゃんは更にテンションが下がったと言います。
スクール水着もありません。カラフルで装飾の付いたもの、ビキニでも何でもありだったのは、プールの授業ができる期間が短かかったからなのでしょう。なかちゃんの中では、プールは水遊びという感覚でした。
学校の周りは森と畑、その向こうには牛舎もありました。風向きによっては教室に色々なにおいが侵入し、窓を閉めないと大変だったようです。
自然豊かな環境があり、個性を尊重し 機能性を重視する小学校での生活は、ぼんやりしていたこの頃のなかちゃんにとっては心地よく、適していたのだと思います。

恩師

1年生の時の担任の先生は、入学間もない子供たちの好奇心をくすぐる色々なアイデアで、やる気にさせてくれるアグレッシブな先生でした。学校の敷地内にあった宿舎にご家族で住んでいたこともあり、お休みの日には先生の家に遊びに行かせてもらうなど、なかちゃんにとっては安心できる存在でした。2年生になって担任ではなくなりましたが、今でも毎年年賀状を送っている恩師です。

余談ですが なかちゃんは結婚後なーさんと、大きくなったししょーも一緒に、先生のお宅に遊びに行かせてもらったことがあります。その時も、先生の案内で『グラウンドゴルフ』というスポーツを体験させてもらいました。
数十年会っていなかった教え子とその家族をあたたかく迎えてくれたうえに、一緒に楽しもうとイベントを企画してくれるところ、あの頃と何も変わっていませんでした。ご高齢になってもなお好奇心を持って創作活動をするなど、新しいことにチャレンジしている先生を、なかちゃんはとても尊敬しています。
恩師との出会いは、なかちゃんの宝となりました。

苦手

算数

1年生の時は感じなかった「苦手」という意識。それは2年生で突如現れます。
まずは算数。『九九(くく)』という王道で躓きました。終業式の日、みんなが掃除をする中 先生の前に九九が完成できないメンツが並びます。途中で間違えると「はいやり直し」と言われ、うしろに並び直します。できるまで帰れないのですからプレッシャーのかかるループです。
なかちゃんは7の段・8の段で必ず間違えます。
「しち・く…ななじゅう…に?」「はいやり直し」
「はち・しち…しじゅう…く?」「はいやり直し」
くくはちじゅういちが言えるまで続きました。
今なかちゃんが大人になれているということはきっとこの時、何とか完成したのでしょう。でも「やった~!」という記憶はないとのこと。人は、負の感情の方が強く残ってしまうのですね。
「算数やりたくない…」残念ながらその後「逃げられない」ということに気付くのでした。

スキー

なかちゃんは体育も「苦手」と感じていましたが諦めもあり 不思議と受け入れていました。
雪国は体育の授業で『スキー』があります。スキー場まで行くスキー遠足もありましたが、授業では、森にある坂まで行って練習しました。そこまではスキー板を付けた状態で歩いていくので “歩くスキー仕様” の同級生はスイスイ行きますが、なかちゃんはノーマルなスキー板。着く頃にはグッタリです。おまけに「苦手…」です。となると…
なかちゃん考えました。“九九方式” で回避です。
一列に並んで順番に滑るところを、なかちゃんは自分の番が近づくと再び一番後ろに並び直しました。そうこうしているうちに 授業は終了。また歩いて学校に戻るのでした。
…良い子はまねをしないでね。

後悔

ピアノ

オルガン教室を修了し、ピアノに移行しなかったということは前回お話ししましが、3年生になって それを後悔する日が来たのです。
学校行事の演奏会で、なぜかなかちゃんがピアノ担当になったのです。さあ大変です。楽譜の理解もピアノ演奏もオルガン教室レベル。半泣きで練習しましたが、全くできません。「こんなことなら、ピアノやっておけばよかった…」そう思ってもあとの祭りです。
演奏会までに間に合ったのか、それとも途中で断念して他の人に変わってもらったのか。 “九九事件” 同様、その後の記憶は全くないそうです。ここでも負の感情だけが残ることとなり、なかちゃんにとって初めての『後悔』となりました。

バレエ

ある時なかちゃんは、ウツツママと一緒に駅向こうにあるバレエ教室に 見学に行きました。お友達が習っていたわけでもないのに、何故習おうと思ったのか理由はわかりません。
でもなかちゃんは、その日のうちに習うのをやめてしまいました。その理由ははっきり覚えていると言います。それは、レッスンを見たからというよりも、既に出来上がった女の子たちのグループを見て、そこに入っていくのが怖くなったというのです。ウツツママには、この理由を言いませんでした。
なかちゃんはこの頃から 集団、特に強いリーダーのいるグループに対する怖さのようなものを感じ始め、その後も集団に属することを避けるようになりました。
上下関係があるであろう集団の醸し出す空気を察知し、なるべく関わらないように過ごし、ほどほどの距離感を好む友達と仲良くするようにしました。その方が怖さや苦しくさがないと感じたのでしょう。今でもそのスタイルは変わりません。
ただ、この機を逃してしまったためその後もバレエに触れる機会はなくなりました。本当は踊りたかったのかもしれません。なぜなら、大人になって別の形で踊ることになるのですから。

初恋

同級生にB君という男の子がいました。勉強も運動もできる学級委員長です。ぼんやりしているなかちゃんの目にも、B君の存在はとても魅力的に映りました。そして何より、優しい男の子だったのです。決して威張らず控えめで、恥ずかしがりやな少年でした。
時々言葉を交わしたときには、女の子と話すのが苦手なのか、ぷっくりしたほほを赤らめるのが印象的で、なかちゃんが『異性』として初めて意識したのが彼でした。
なかちゃんの学年は2クラスでしたが、4年生になった頃には下の学年ほど徐々にクラス数が増えていきました。ベッドタウンとして発展していったのでしょう。
2クラスしかない学年は、進級しても同じクラスか隣のクラス。学年全員が友達という感覚でした。そんな中でも、B君が同じクラスにいるととても楽しく、学校生活に彩りを感じられたのは、この『初恋』のおかげかもしれません。
誰かを好きになるということがこんなにも命に力を与え、心を豊かにするものなのだということに初めて気づいた、10歳のなかちゃんでした。

転校

5年生の春です。ウツツパパが転勤することになったという話を聞かされました。ちょうど同居していたウツツバアバが入院していた頃で、バアバは親戚にお願いして家族4人で引っ越すというのです。もちろん学校も転校することになりました。
なかちゃんは過去の『引っ越し』という経験では、そんなに変化を感じませんでしたが、さすがに今回は違います。学校という集団生活の場が大きく変わってしまうのですから。それでも、話を聞いた時は実感がわきませんでした。
クラスの中で『転校』というキーワードが飛び交い、一種のイベントのようなワクワク感がありました。
少し他人事のような気さえしていたなかちゃんも、それが近づくにつれて、何か大きなものが動くような、見えないものに動かされるような、自分ではどうにもならない未来への不安を感じ始めていました。
仲良くしていた友達からの贈り物や、クラスのみんなが書いてくれた色紙など、思い出の品をたくさんいただきました。「また会おうね」という言葉は本当にまたすぐ会えるような気がして、不安を抱えたなかちゃんを勇気づけてくれるものでした。

なかちゃんの苦手な春の運動会が終わった頃、新たな地へと旅立つ日が来ました。電車に乗り込むまで、たくさんの友達が見送りに来てくれました。嬉しいのに寂しい。この時の引っ越しは、前に経験したものとは全く違い、心が揺れるものでした。
電車の窓から外を見ると、線路沿いの道路にもたくさんの人がいます。その中になかちゃんは、B君の姿を見つけました。なかちゃんは「きっともう会うことはないんだろうな」ということを、直感したそうです。
人との縁でなかちゃんがそう感じたときは、本当にその後会うことはありません。実際その後何度か帰省した時でさえも、B君に会うことはありませんでした。
なかちゃんの『初恋』は、ちょっぴり切ない想い出となって終わりを迎えました。

まとめと次回について

今回は、小学校から5年生で転校するまでのエピソードをお伝えしました。
ぼんやり生きていたなかちゃんが、学校生活を通して『自分のこと』を少しづつ知ることになりました。そしてちょっと悪いことや後悔などもしながら、人間らしく成長してきました。
さあ、いよいよ新しい場所での生活が始まります。
果たしてどんなことが待っているのか…
次回は転校してから中学校卒業までです。

なかちゃん
なかちゃん

最後だけ登場~
まったね~!まったきってね~!

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STEP1_ep2 3歳→6歳https://ruka-ito.com/step1_ep2-3-6/Tue, 18 Jul 2023 14:59:38 +0000https://ruka-ito.com/?p=1079

今回は、3歳で引っ越してから6歳くらいまでのエピソードをお伝えします。]]>

ごきげんよう。 いとう るか です。
『まいっか☆いとうるか』
16回目の投稿となりました。
前回は なかちゃんの成長記録
「まいっか!」までの5ステップ
出生から3歳までのエピソードでした。
前回の投稿はこちら ⇓

るかも誕生?

今回は、生家を離れ新たな地に引っ越した3歳から
小学校入学前の6歳までのエピソードです。

お引っ越し

なかちゃんが3歳の頃、ウツツパパは一大決心をしてマイホームを建てました。主要都市の借家住まいから ベッドタウンと呼ばれる町に引っ越すことになり、仲良しだった幼なじみともお別れすることになりました。
生家から電車で1時間くらいの距離だったこと、またその後も幼なじみとの交流はあったことから『引っ越す』ということ自体は、この時のなかちゃんには大きな出来事ではなかったのです。でものちに『距離』というものが、人との交流を大きく変えるのだということに気付くことになります。

新たな土地・新たな交流

2つ目の家

引っ越した家は2階建ての一軒家でした。開発途中のベッドタウンは、まだ自然が多く残るのどかな町でした。なかちゃんの家の周りにはまだ他の家も建っていなかったため、空き地は草原のようでとても開放的でした。
ヒバリが空高くピチクリピチクリと鳴いては、草むらに作った巣に急降下する様子も、シロツメクサやアカツメクサが群生している光景も、どれも今まで目にした事のないものばかり。幼かったなかちゃんの目に鮮やかに映りました。

幼稚園

4歳になったなかちゃんは、年子のあにうえと一緒に幼稚園に入園しました。当時の幼稚園は1年保育と2年保育が主流。幼稚園バスもなければ親の送り迎えもありませんでした。今では考えられませんが、そんな時代でした。
入園する頃には近所にもお友達が増え、一緒に幼稚園にも通いました。幼稚園まではこどもの足で徒歩20分くらいかかり、国道を2つも超えて行くのですから、かなりの大冒険だったのではないでしょうか。足取りもおぼつかないなかちゃんは、あにうえと手をつなぎ通っていました。
幼稚園は、キリスト教系の幼稚園でした。そのためクリスマスには礼拝があり、それぞれ役柄を決めてキリスト誕生の劇をするという行事もありました。この頃のなかちゃんは今とは違い(?)とても大人しかったので、専らその他大勢の『天使』の役でした。
「かわいい子がマリア様の役をやるんだな」という気づきから社会のヒエラルキーを知り、集団内での自分の立ち位置という認識もこの時学びました。それでも、オルガンの奏でる賛美歌の音色が響く教会を、ロウソクを持って歩いた光景を思い出すと、今でもとても厳かで癒される感覚が沸き起こるそうです。

オルガン教室

なかちゃんは、幼稚園のオルガン教室に通っていました。それほど強い意思があったわけではありません。お友達がやっているからくらいの「何となく」というぼんやりした理由です。それでは上達しませんね。
コツを掴むのは上手かったようでそれなりにできていたようですが、更に上達するには「やる気」が必要です。ただその「やる気」以前に「何のために」という目的意識がまだ見いだせていなかったのでしょう。
また、楽しいことが一番の飽きっぽい性格はこの頃からあったものなのかもしれません。三つ子の魂百までとはよく言ったもので、気が向かないと「行きたくない」と言ってはウツツママに叱られていました。そんななかちゃんですから、ピアノに移行する意欲もなく卒園と同時に修了したのは言うまでもありません…

Kちゃんとの出会い

幼稚園の同じクラスに、障害者のAちゃんという女の子がいました。なかちゃんにとって人生で初めての経験です。Aちゃんはいつもニコニコ楽しそうにしていましたが、常に先生に手を引かれていました。
なかちゃんは走るのはあまり得意ではなかったものの、体育館で跳び箱を飛ぶのはとても好きでした。ちなみに跳び箱を横にして跳ぶのがなかちゃん流。一番高い段も、縦では無理なのに横にするとなぜか跳べるのです。股関節の病気が唯一良い方に影響していたのかもしれません。
なかちゃんが跳び箱をしているとき、Aちゃんもやりたいと言って走り出しました。踏切台のところで止まって箱に手をつきます。結局飛べませんでしたが、満面の笑みです。なかちゃんは「飛べなくてもなんだか楽しそう!」と、その後もAちゃんのことが気になるようになりました。
なかちゃんは天井に取り付けられたステンレス製のバーにつかまり、そこから下のマットに飛び降りるという遊びが大好きでしたが、Aちゃんはやらせてもらえません。やりたいと駄々をこね泣いているのを見て「なんでダメなのかな」と、まだ障害についての知識がないなかちゃんは、とても不思議に思っていました。
そんなAちゃんが、とても楽しそうに遊んでいたのがトランポリンです。先生と手をつなぎ、キャッキャと笑いながら跳んでいるのを見るのが楽しくて、なかちゃんはAちゃんとトランポリンをするのがとても楽しかったそうです。
Aちゃんがどのような障害があったのかはわかりませんが、今でも忘れられないこの体験が「どんな子もみんな一緒」「笑っていればみんな楽しい」という感覚を培ったのではないかと、なかちゃんは言います。
そして、出会ってくれたAちゃんにとても感謝しています。今もどこかで、笑顔でいてくれるといいですね。

近所の銭湯

昭和レトロな銭湯が今また流行しているようですね。なかちゃんのおうちにもお風呂はありましたが、時々家族で近所の銭湯に行っていました。
銭湯の入り口で男湯と女湯に分かれ、番台で料金を払ってから脱衣スペースの空いているかごに自分の着替えを入れます。この時、かごを逆さにしてトントンと中の埃を払うのが不思議だったというなかちゃん。知らないことや そうする意味が分からないことがたくさんありました。
銭湯のお風呂は、蛇口が独特でした。お湯の出る赤いまんまるいノブをほんのちょっと押すだけで「ジャー!」と勢いよく出てくるのが怖くて、なかちゃんはいつもおっかなびっくり押していました。シャンプーハットも、被ったところで結局目に入ってしまい痛いと泣いたり、スポンジでゴシゴシ洗われるのもちょっと嫌だったり…おまけに銭湯のお湯はおうちのお風呂より熱いのですから、早く上がりたいなと思うことが多かった銭湯でのお風呂タイム。
そんな銭湯での唯一の楽しみは、時々買ってくれる瓶入りの牛乳やコーヒー牛乳。冷蔵庫のわきにぶら下がったピックで、蓋を開ける瞬間のワクワク感は忘れられない思い出のひとつだそうです。昭和生まれの皆さんにも、同じような思い出があるのではないでしょうか。
わざわざ銭湯に行っていたのは、せっかく近所にあるからということなのか、そのような習慣だったのかは分かりません。でも、洗面器を片手に家族で下駄を鳴らして歩く夕暮れの道、ゆったり入れるお風呂は、日ごろ色々あったであろう大人たちにとって、ひとときの潤いになっていたのかもしれませんね。

自家製スケートリンク

ウツツパパは、創意工夫や楽しい企画をするのが得意でした。ある時、家の隣の空き地に『スケートリンク』を作ると言い出したのです。なかちゃんを子供用の小さなソリに乗せ、楕円のトラック形にぐるぐると何度も回っては雪を踏み固めます。水をまいたり塩をまいたりしたあと、一晩おきます。それを何度か繰り返してスケートリンクを作ってくれたのです。
リンクの仕上がりは、多分とてもボコボコでした。でも、ソリに乗ってウツツパパに引っぱってもらった記憶がしっかり残っているということは、なかちゃんはとても楽しかったのでしょう。
マイホームを建てて生活は苦しかったかもしれないけれど、ウツツパパは「少しでも子供に楽しい思い出を」と思ってくれていたのかもしれません。
物より想い出。ウツツパパ、ちゃんとなかちゃんの中に残っていますよ。

まとめと次回について

今回は、3歳で引っ越してから6歳までのエピソードをお伝えしました。
小さいころはあまり自己主張をせず大人しかったなかちゃんですが、色々な人と関わる中で考え、感じ、学び始めたのもこの頃からです。今のなかちゃんの思考に、大きく影響した出来事もありました。でも、根本的に変わらないものもまたあるのだということもわかります。
卒園後は、あにうえの通う小学校に入学です。また新たな環境に行けば、これまで以上にたくさんの人と関わることになります。ぼんやり生きていたなかちゃんも、そうもいかなくなってくる出来事が待っているのでした。

次回は小学校入学から、大きな転機となった
『転校』までをお伝えしていこうと思います。

なかちゃん
なかちゃん

最後だけ登場~
まったね~!まったきってね~!


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STEP1_ep1 出生→3歳https://ruka-ito.com/step1_ep1-0-3/Fri, 14 Jul 2023 14:59:26 +0000https://ruka-ito.com/?p=1077

なかちゃんの成長記録「まいっか!」までの5ステップについて少しずつ書いていこうと思います。今回は0~3歳です。]]>

ごきげんよう。 いとう るか です。
『まいっか☆いとうるか』
15回目の投稿となりました。
前回は新たな挑戦として『 note 』という
プラットフォームを始めたというお知らせでした。
前回の投稿はこちら ⇓

今は このブログの紹介がメインです

今回からは、12回目の投稿でもお知らせした
なかちゃんの成長記録
「まいっか!」までの5ステップ
について少しずつ書いていこうと思います。
このカテゴリーについては るか がお話しします。
このステップを記録することで
なかちゃん の気持ちの整理と解放が進み、
更には どなたかの僅かな光にでもなれば…
という思いがあります。
ひとつの物語としてご覧いただければ幸いです。

出生

寒い北国が なかちゃんのふるさとです。
春が近づく昭和のある年、ウツツパパとママ、あにうえ、そして当時はウツツバアバも一緒に暮らす家に、雌の肉体と女性性を持って生まれてきました。

ここにはウツツバアバは書かれていません

なかちゃんがまだお腹の中にいる時、ウツツママは小さかったあにうえに手が掛かりとても大変だったようです。胎児に必要な栄養が摂れなかったのか、なかちゃんの肉体が弱かったのかは分かりませんが、生後3か月頃の乳幼児健診で股関節が未熟であることが分かりました。「発育性股関節形成不全」というそうです。すぐに入院となり、ベルトでカエルのように足を固定され、ベッドで動けない状態が続きました。

<症状>
古くは独歩後に跛行することで発見されましたが、現在は乳児検診で開排制限(股の開きが悪いこと)や脱臼感があった場合、X線(レントゲン)か超音波(エコー)診断が行われることで早期発見が可能になっています。

<原因と病態>
病態としては、周産期に緩みのある赤ちゃんの股関節が、下肢を伸ばした位置でオムツをするなどの間違った育児習慣によって外れていくことが多いと言われています。脱臼は生まれた後に発症するのだという議論から、最近は先天性というより発育性股関節形成不全と呼ばれるようになりました。かつては出生数の2%前後の発生率があり、近年はその約1/10 に減少していますが、成人の二次性変形性股関節症を含めると現在でも代表的な股関節疾患といえます。

<予防と治療>
治療は年齢により異なりますが、大別すると脱臼の整復とその後に残った変形の矯正に別けられます。乳児期に発見された場合、わが国では多くリーメンビューゲルと呼ばれるひも型の装具療法が行われています。もしこの装具で整復が得られない場合や患児が大きくなりすぎてこの装具療法がうまく行かない場合には、多くオーバーヘッド・トラクションといわれる入院牽引療法が行われます。
脱臼整復はリーメンビューゲルで80%前後、残りの20%のうちそのまた80%が入院牽引療法で整復されます。残りの5%前後が手術を要することになります。

整復が得られたら、その後の成長の経過観察を行い、もし後遺症が早めに出た場合骨盤骨切り等のいわゆる補正手術を行います。できれば就学前に一応の治療を終わらせておきたいと考えております。

なお最近育児に取り入れられたスリングによる保育法が、この疾患の発生を助長するのではないかとの危惧が持たれています。

(引用:公益社団法人 日本整形外科学会HP)


ウツツママは、あまりこのことを話したがりませんでした。恐らく自責の念や、その頃の大変だった生活を思い出すことを望んでいなかったのでしょう。
また、この頃のなかちゃんの写真は一切ありません。「あんな姿の写真なんて、可哀想で撮れなかった。女の子なのに…」というウツツママの言葉を聞いたのも、随分大きくなってからです。だからなかちゃんは大人になってからも、これ以上のことを聞くのはやめました。
このことが原因なのか遺伝の問題なのかは分かりませんが、なかちゃんは走るのが苦手でした。スピードを上げると股関節がガクッとなり、そのガクッとなるのが怖くて恐る恐る走るということもありました。でもこのことをウツツパパとウツツママにはっきり言うことはしませんでした。遺伝なんだと思っていた方が、自分も親も傷付かないと思っていたようです。
このような身体に生まれたことは、誰のせいでもありません。きっと意味があってのことです。人の力ではどうにもならないこともあるのですから、必要以上に自分を責めることはかえって相手を苦しめることもあります。お互いが「自分のせいで…」と思うくらいなら「今いてくれてありがとう」という言葉で上書きしていく方が、前を向いて楽に生きられるのではないでしょうか。

最初の記憶

この世に生まれてから『最初の記憶』というものを覚えている人もいるのではないでしょうか。生まれる前の記憶は、話せるようになるまでに消えるとも言われますが、ご多聞に漏れずなかちゃんにもありません。(のちにセラピーによって呼び起こされたものもありますがここでは割愛します)
なかちゃんにとっての『最初の記憶』は、プロフィールにも書きましたように『 身体を抜けて宙に浮かび、空を飛びながら町を見下ろしていた』というものです。天井に浮かんだ映像も、そこから空に抜けた感覚も、上空から見た町並みも、今でもありありと思い出せるのです。不思議なことに、飛んでいるときの“風”という感覚は“体感”として残っていないということです。最初の記憶については、以前投稿した下記の記事内でも少し触れました。(記憶という項目です)


これは、生家である平屋での出来事なので、恐らく1歳~2歳の頃ではないかと思われます。これを『夢』と思うのか『真実』だと思うのか、それはその人がその出来事をどう捉えるかということに他なりません。本人、ましてやそれを体験していない他者が、これをいずれであるか証明することは出来ないからです。
なかちゃんにとっての『最初の記憶』その不思議な体験は、そののちにも訪れる不思議な感覚とどこか共通するものがあることに、いづれ気付くことになります。「自分であって自分ではない」今生きている自分は、今でしかないのであれば「まいっか!」に繋がる第一歩だったのかもしれません。

生家での暮らし

コケコッコ花

股関節の治療が終わってからのなかちゃんは、食は細かったものの大きな病気をすることもなく、すくすく育ったそうです。生家である平屋の借家には、3歳まで住んでいました。近所のお友達とたくさん遊び、写真も多く残っています。
『コケコッコ花』という花をご存じでしょうか?一部地域の呼び名なので、わかる方は幼少期をこの地で過ごされたのかもしれませんね。本来の呼び名は『タチアオイ(立葵)』というもので、関東などでは『ツユアオイ(梅雨葵)』とも呼ぶようです。このような花です。

ニワトリのトサカのような花びらです

色は赤やピンク、白いものやグラデーションになっているものもあります。花弁(花びら)は薄く、その根本を少し割いて開くと内側には粘着性があり、これをおでこや鼻、あごなどにくっつけると鶏冠(トサカ)のようになります。こうして「コケコッコー!」と鳴き、“ニワトリの真似”をする遊びをしたことからこの呼び名になったようです。
この『コケコッコ花』を顔中にくっつけたなかちゃんの写真があります。今でもこの花を見かけると、あにうえや幼なじみと夢中になって花を摘み、小さな手でその花弁を開いてはべたべたした感覚を楽しんだことや、くっつけたときに肌がぞわぞわする感じを思い出すと言います。
こどもの頃に触れた感触やにおい、空気感などは、大人になってからも記憶に残る体験なのでしょう。

インコの脱走

昭和の時代はどの家庭でも一度は飼ったことがあると言われた『インコ』。玄関先に鳥かごがあったそうです。そして、どの家庭もきっと経験したであろう『インコの脱走』を、なかちゃんも体験しました。
小さかったので実際に見たわけではないと思いますが、大人の話す内容やその場の空気で「開いていた玄関から外にインコが飛んでっちゃったんだ」ということ、そして「もう会えないんだ」ということはわかったのだろうと思います。これが人生最初の喪失感となりました。
当り前だった日常は、突然失われることがあります。どんな小さな別れでも鮮明に記憶に残ることがあるなら、ましてや大切な家族とある日突然会えなくなる…などの大きな出来事は、きっともっと深く記憶の底に刻まれることになるのでしょう。

あにうえの入院

ウツツママは「あにうえは、なかちゃんがお腹にいるとわかった頃から特に手がつけられなくなった」と、何度となくなかちゃんに話していたそうです。胎児は、お母さんのお腹の中にいる時から外の状況が分かります。ウツツママが語らずとも、なかちゃんにはわかっていました。「自分は大人しくしていなくちゃ」「わがまま言わないようにしなくちゃ」と。
なかちゃんがまだ2歳にもなっていない頃でしょうか、ある時あにうえが怪我をして入院することになったそうです。結構な大けがで、ウツツママが付き添いで病院に泊まることもあったのでしょう。ウツツバアバがいたとはいえ、母親と離れるにはまだ早い年頃です。恐らく泣いたりもしたでしょう。それでもその時のなかちゃんの記憶は、床にちょこんと座り、独りおもちゃでコロコロ遊ぶ姿として残っていると。それも、後ろ姿として。
人は大きなショックを受けたとき、どこか他人事のような、感情が空白になるようなことがあります。目線も自分のものではなく少し離れたところから眺めるような感覚です。後ろ姿を眺めていたのは、身体を抜け出したなかちゃん本人かもしれませんが、もしかしたら、インナーチャイルドであるわたくし るか が 生まれた瞬間だったのかもしれません。
あにうえの入院は、寂しさと我慢の狭間で混乱したなかちゃんが、自失という手段で自分自身を守るきっかけとなりました。そしてご両親も、皮肉なことに「なかちゃんは手が掛からないから放っておいて大丈夫」という認識を持つようになりました。これが、なかちゃんの潜在意識の中に長く深く根を張り、のちのちまで自分を無いものとし、ピエロになることで存在意義を求める人格として形成されていったのです。

まとめと次回について

今回は、なかちゃんが生まれてから
3歳までのエピソードをお伝えしました。
次回は生家を離れ新しい土地での暮らしが始まる
3歳からのエピソードをお伝えしたいと思います。

なかちゃん
なかちゃん

最後だけ登場~
まったね~!まったきってね~!


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